日本の山

焼石岳 2000,10

 中沼登山口まで車ではいり、風が強いなか朝食を取る。
 ゆるやかな登りを、30分ほどで右手に中沼が現れる。新しくなった木道にそって歩き始めると、ポツリと顔に冷たいものがあたり、あっという間に雪が吹きつけてくる。木道の上には、所々撤去した古い木道の残材が、山のように積まれている。上沼を過ぎると、やがて石沼からのコースが合流してくる。沢沿いの道になり、吹きつける雪も本格的となる。
 ブナの林の中をしばらく登ると、小広く開けた銀明水に着く。一段上には、新しい非難小屋が建っていて人の声が聞こえた。小屋の中は、土足ではいるのをためらうぐらいにきれいな板ばりの床になっている。

 一休みの後、雨具をつけて思いきって出発する。小屋の前から急登をゆくとかん木帯となり、左前方に真っ白くなった横岳がガスの間に見え隠れしている。完全に冬山の様子になった姥石平に着く。ケルンの影に荷物をデポし焼石岳山頂へと向かう。泉水沼は、半分凍っており、夏のお花畑の面影が今は全くない。稜線に出ると、強風で思わず顔を背けてしまう。山頂までは急登ひと頑張りだが、標識があるだけで展望は皆無だ。早々に引き返す。
 分岐点まで戻り、吹きさらしの姥石平を東焼石岳へ向かう。山頂がガスの間にときおり顔を出す。なだらかな東焼石岳は特に風が強く、しばしば立ち止まって風をやり過ごす。はるか前方には、経塚山がやけに大きく見え、左下、南本内川源頭に瑠璃色に光る池がいくつか見下ろせる。
 東焼石岳からさらになだらかな稜線を六沢山に向かうと、夏油温泉から登ってきた二人の登山者に会う。六沢山からは、やせた尾根を慎重に下るようになる。はるか前方に今夜の泊まり場の金明水の避難小屋が見える。風もだいぶ弱くなってきた。天竺山を巻くようにして、最後は草紅葉の階段を、金明水に一気に降る。
 金明水は、岩の割れ目より豊かな水量で澄んだ水が湧き出していた。又、避難小屋もきれいに整理されていて、気持ちの良い一夜を過ごせそうだ。時間もあり、ストーブで、ぬれたものも乾いてしまった。

 相変わらずの天気の中、7時半に避難小屋を出発する。金明水の涌き水の脇を通り、深くえぐれた沢状の中、経塚山を目指す。稜線上に出ると、昨日と同じように風が強い。しかし、予想していたより楽に経塚山に登りつく。風に吹きたてられて、山頂を通過し少し下ると、嘘のように風が穏やかになる。大きく左に向きを変え、一路夏油温泉へと向かう。しばらくかん木帯をいくと、小さく開けた、お坪の庭という所に出る。小休止にもってこいの場所だ。
 ここからしばらく登り下りの繰り返しになるが、きのこを探したりしながらノンビリと歩く。ブナハリタケ、クリタケ、ムキタケ、ナメコ等収穫する。いよいよ夏油川に向かってジグザグの急下降となり、最後は、くさりの垂れている岩場が出てくる。赤い橋で、左岸に渡り、ここから林道になる。だらだらと下って行くと、夏油温泉の屋根が見え牛形山の登山口だ。

光明山 2001,10

 新潟と福島の県境の位置する光明山。その昔、砥石を切り出し、運び下ろしていた道が残っている。途中のスラブには、ノミで削ったステップや、苦労して砥石を運んだ痕跡が残っている。 
三条市内にて食料の買出しを済ませ、一路笠掘ダムへと向かう。夕方人が少なくなる頃にダムサイトの駐車場の脇にテントを設営する。

  朝食もそこそこに、出発する。ダムサイトから少し下ったところが登山口で、登山届を書いて歩き始める。
 緩やかな樹林帯の登りが続き、だんだんペースが上がってくる頃、尾根を左に乗っ越し3合目、七曲峠だ。あたりは低潅木帯で、振り返れば、笠堀湖が緑色に輝き、奥には粟が岳が頭をのぞかせてきた。しばらく山腹を巻くように登り、湧き水の流れている満清水や、水の干上がってしまったガバ井戸をすぎると、山ノ神の祭られた5合目につく。
 展望が開け、急なのぼりが続く。笠掘湖の周囲の山は雪崩に磨かれた、むき出しのスラブが荒々しく広がっている。思ったより急登が続いてやっとのことで、前光明山につく。山頂は、登山道から左にそれた所にあり、まさに360度の展望がえられる。正面には、これから向かう光明山に岩尾根が続いている。左手は、粟が岳から矢筈岳の稜線、右手は、守門岳、浅草岳。矢筈岳の右遥か遠くには、御神楽岳が見えている。ちょうどこのあたりは、5万図の境で地図を3枚も、4枚も広げて周囲の展望を楽しむ。前光明は、地図では、万之助山になっている。
 いよいよ、奥光明に向かっての最後ののぼりにかかる。中光明をはさんでの岩尾根は、かなり切れ込みが深く、気合を入れて出発する。気持ちの良い風を受けながら中光明を過ぎると、砥石運搬中継小屋跡であり、テントも張れる広場になっていた。ここから本当の最後ののぼりで、奥光明の山頂につく。小さな石の社と、山頂を示すプレート、御影石の石柱。周囲の眺めは申し分なし。浅草岳がずいぶんと近くなり、粟ガ岳はかなり形が変わって見えるようになった。
展望を十分に堪能して、去りがたい山頂をあとに来た道を引き返す。とちゅう木喰上人が修行したという竪穴を見る。かなり深い岩穴で、ちょっと中には入れそうもない。石仏をいくつも見ながら急な下降をつづけ、樹林帯に差し掛かった頃ポツリと雨が落ちてきた。それでも、本降りとなる前に下山できたのは幸いであった。 
 ダムサイト6:25---3合目七曲峠7:00---五合目8:15---万之助山8:40(8:50)---中光明9:30---光明山10:04(10:40)---前光明11:40---ダムサイト14:40

矢筈岳 2002、4

 川内山塊の盟主矢筈岳。道はないので、残雪を利用できる時期を見ながら出かける。 
 早すぎると林道は通れないし、遅すぎるとヤブに阻まれてしまう。
 
 室谷部落をすぎ、倉谷林道の終点まで、車ではいる事が出来た。雪解けが早いので大丈夫とは思っていたが、まずは一安心。魚止山を目指して、急な東尾根に取り付く。登り始めはルートが不明瞭だが、すぐにけもの道のような踏みあとが見つかり、藪をかき分けながらの登りになる。ひたすら3時間登りつめると、ひょっこりと魚止山の山頂に飛び出す。眼前には、矢筈岳から粟が岳にかけての展望が広がっている。3時間の疲れも吹っ飛ぶ眺めに感動する。

魚止山~テント場
 ここからは、かなり雪堤が利用できるので助かる。続く1120㍍ピークは、雪がついた広々としたところだ。テントを張るには良さそうなところだが、時間も早いし先も長いので、更に先へと進む。
 残雪の落ちた稜線は藪漕ぎがまっている。右手には早出川源流のガンガラシバナのスラブが切り立って広がっている。30㍍の藪まじりの岩場を越すと1066㍍ピーク。再び藪に突入し、ひたすら登るだけだ。駒形山からの尾根が合わさる三川分水峰は、茂みのなかに土の露出した空き地があり、今日の泊まり場に決定。夕方、単独行者がすぐ下にテントを張る。中の又山から藪漕ぎ3日目で、さらに粟が岳に向けて縦走するという。
テント場からの稜線
 林道終点6:20---魚止山9:40(10:15)---1120ピーク10:40---駒形分岐12:45

 今日は長時間行程なので、明るくなると同時に出発する。雪稜を下り、藪漕ぎで1049㍍峰を越すと、青い岩のむき出しになった最低コルとなる。早出川の源頭をとりまくように、稜線が曲がりくねっているので、矢筈岳はなかなか近くならない。不安定な雪堤にルートを選びながら前進する。

早出川源流
 1051㍍峰にむけて、さらに藪をこぎ雪稜をたどると、いよいよ矢筈岳の稜線が目の前に広がってきた。まず前矢筈岳の雪壁の登りにかかる。雪は柔らかく、キックステップで快適に登れるが、滑ったら、上矢筈沢へまっさかさまなので、おのずと慎重な行動となる。
粟が岳
青里岳
ここからは、ほとんど上り下りがないが、一段ときびしい藪である。ちいさな岩場を右から巻き、最後に雪の斜面を登ると憧れの矢筈岳山頂だった。
前矢筈より矢筈岳
矢筈岳
     雪稜の下り
幾重にも重なる山並みに見飽きることのない山頂だが、長い下山を考えると長居は出来ない。登ってきたルートを確実に、いくつものピークを越えて下降する。テントを撤収し再びザックは重くなったが、気合を入れてひとつひとつ藪をかき分けていく。最後の急な登り返しで1120㍍ピークにたどり着くと、あとはほとんど登りがないので少しは安心する。魚止山からの展望を最後に、雨の降り始めた東尾根をひたすら下り続けた。
 駒形分岐発4:50---前矢筈岳7:15---矢筈岳7:40(8:10)---テントサイト(駒形分岐)10:45(11:20)---1120ピーク1:15---魚止山1:30(1:50)---林道3:45

毛猛山 2003,4

 六十里越をはさんで、浅草岳と向かい合っていて、その尾根は、未丈ヶ岳から奥只見湖へと延びている。
 こったが沢から六十里越えの間を偵察した結果、足沢出会いに末沢川本流を渡る橋があり、林道が足沢左岸に沿って上流に伸びている。石滝沢スノージェットの手前に車を止め、この林道に向かう。只見線の陸橋下には新しい靴跡があったが、奥には向かっておらず、さりとて末端尾根から藪こぎも気がすすまない。
 林道をしばらくたどり、堰堤が見えてくると右手に土で汚れた雪渓が出会い、どうやら稜線まで抜けることが出来そうに見える。かなり硬い雪面をキックステップで登り、さいごは急でやせ細った雪のブロックをだます様にしてこの沢を抜ける。降りのために、赤テープを2、3枚付けておく。広い雪面に出ると、赤布を発見し、少し登るとやせた尾根に出て、はっきりした踏み跡が続いている。これで、記録にあった足沢山への踏み跡に乗ったことになり一安心。前方には、足沢山、太郎助山が望まれ、振り返れば、浅草岳が見えてくる。 クマ狩りの偵察だろうか?土地の人が双眼鏡を覗いているのに出くわした。

浅草岳   守門岳   太郎助山
 やせた稜線に続く踏み跡は、かなり歩き易く大いに助かるが、先はまだまだ長い。最後は雪の急斜面を直登して足沢山の山頂に到達する。越後三山、守門岳、浅草岳の右の方に霞んでいるのは、会津朝日だろうか?見飽きることはないが、太郎助山はまだ遠い。尾根は左に曲がり、内桧岳の分岐までは雪面を歩く。ここからは、藪と、雪面を交互に進むようになる。2人のパーテイが降りてくるのを見かけるが、我々は藪の中、彼らは下の雪渓ですれ違いとなる。
 さらに、太郎助の登りにかかった雪面で、太郎助山から降りてきた女性と合う。そろそろ今日のテント場が気になる頃だ。
藪がひどいし、尾根も痩せているので、平らな雪面を探すつもりで、上部をうかがっていると,また2人が降りてきた。東京からきたことを話すと、「好くこんな山へ」と言うので「こんな山だからこそ」と答えてすれ違った。後でわかったのだが、越後の吉田さんだった。昨年の矢筈岳でも時間差はあったものの、同じ日に登頂していた。まだ何人かが下山してくるようだ。
桧岳    中岳、毛猛山
 太郎助山の最後は、かなりの藪となっていた。そしてヤット登りきった山頂は、2~3メートルの地面が露出していた。まさにラッキーと言うしかない。テントがやっと拡げられるだけの広さ。その先には、毛猛山の三角形の山頂を望み、今日の疲労感と明日の登頂意欲が混在する一瞬だった。もはや皆下山していき、山の中には、我々だけとなった。テントを張り終える頃には、ワインも冷え1日の疲労を癒してくれる。
 足沢出合7:00---雪渓出合7:30---稜線8:40---足沢山11:15(11:50)---太郎助山15:30

  素晴らしい天気で1日が始まる。しかし、今日の行程もかなり厳しいことが予想される。山頂を占領しておくわけにもいかないので、テントは撤収してデポし、いきなり藪へ突入する。しばらく藪と格闘すると、左側の雪渓に出たのでホッとする。踏み跡はほとんどなくなり、ちょっとした藪にも時間が過ぎていく。百字が岳では予想以上の時間が過ぎ先が思いやられる。右側の雪面と、藪を交互につないで中岳までは、さほどでなく到着する。正面の毛猛山は、山頂直下が藪で守られて、なかなか大変そうだ。思わず帰りの時間を計算してみる。ぎりぎりセーフと言うところか?

朝の毛猛山   桧岳
 
百字ヶ岳、毛猛山  百字ヶ岳   桧岳
中岳のコルから最後の藪に突入する。尾根が広がってきたので、念のため3枚ほど赤テープを付けておく。足は地に着かず腕で枝を押し分けて、ひたすら上を目指すだけだ。やっとたどり着いた山頂は、三角点があるだけの狭い所だ。四方は全て藪に囲まれ、山頂だけが開けている。大鳥岳から未丈岳にかけては、雪の着き方が多い。時間が気になるので、早々に山頂を後にする。
毛猛山    毛猛山頂三角点
 慎重に方向を定め、中岳のコルまで降ると、少し安心できる。百字ヶ岳から太郎助山を見ると、かなりしんどそうに見える。ひたすら登り返し、山頂直下の藪と思い、やけくそで登ってみると、太郎助山は、あと一つ先の藪の上だった。
 太郎助山で、又荷物が重くなったが、時間の方は、何とか大丈夫のようだ。足沢山のコルでは雪堤からしづくがしたたっていて水筒に補充する。足沢山へは、トラバース気味にのぼり、山頂をまこうか少し迷うが、最後は、足沢山に直接登ってしまった。下を見ると、気の遠くなりそうなほどはるか下に、国道を見下ろすことが出来る。しかし、ここから先は、道もはっきりしているので、気を取り直して降りはじめる。
 最後のピークの手前に、赤布が2枚下がっていたが、少し先、昨日のぼった所から広がった尾根を降りはじめる。少し下り、右寄りに行くと昨日の雪渓だが、真っ直ぐに踏み後らしきものが続いているので、それをたどって見る。しかしそれはすぐに消えてしまい、ブナの新緑の中の藪漕ぎとなった。かなり下まで来ているようなので、尾根筋を外さないよう注意してさらに下降する。雪崩防止柵が右手に現れ、只見線の線路が見えてくる。降りきった所は、昨日靴跡が途切れていたちょうど其処の所だった。
 太郎助山5:45---百字が岳6:45---中岳7:25---毛猛山8:10(8:20)---中岳8:50---百字が岳9:20---太郎助山10:10(10:35)---足沢山---13:00(13:10)---車15:15

五剣谷岳 2005,4

 川内山塊五剣谷岳を登るため、早朝悪場峠を目指すが、残雪のため峠直下にて通行止めとなる。新潟、川崎の車がやってくる。新潟の人は、先週も来たらしく、その時は60cmの残雪だったとか。
 天気が気になるがともかく準備を整えて出発する。しばらく舗装道路を進み、悪場峠の最高点を越えたすぐのところに、右からゆるやかな沢が出会っており、登り口らしいが、トレースが見当たらない。少し先まで進むと、2枚の赤布が下がっている。藪をかき分けて登り始める。あまり人が入っていないようだ。それでもしばらくすると、かすかな踏み跡に出会い、やがて小さなピークを過ぎると、仏峠に出た。

仏峠    グシの峰分岐   カタクリ
 いよいよ五剣谷岳に向けての始まりだ。尾根を右にそれて、水無平へと下降。広い雪原を横切る。帰りに視界がないといやなところだが、杉の木がよい目印となる。第三の単独の登山者と出会う。水無平からは、ジグザグの急登に、一汗かき、658mのピークだ。さらに木六山を目指して尾根の踏み跡を追うが、苦しいのぼりだ。木六山山頂は雪のドームに標識があり、前方には銀次郎、銀太郎と気が遠くなりそうな尾根がつづいている。眺めは一気に広がった。天気も安定した青空が広がってきた。
木六山
 木六山からは、急下降した後、樹林の中の急な雪面を登るようになる。雪面に残されたトレースをひたすら追い続け、登りついた雪のピークが七郎平山だ。銀次郎山の三角形の山頂が随分と近くなった。
銀次郎   粟が岳   銀次郎、銀太郎
 少し先で銀次郎を往復してきた5~6人のグループが休んでいた。この先には、銀次郎往復の第三の人と、青里岳を目指している新潟の人だけらしい。相次ぐアップダウンに気合を入れなおし、まずは銀次郎山を目指す。尾根の左側は雪庇が崩れた状態になっていて、雪堤が崩れて行き詰まると右のブッシュの中に踏み跡が続いている。
 銀次郎山頂は、雪の下に隠れていた。銀太郎も随分と大きく目の前に広がり、振り返れば今日越えてきた山々が幾重にも連なって見える。銀次郎を超えたところは、緩やかな雪稜となっていて、泊まるには都合よさそうな地形だが、明日のことを考えて少しでも先にと、銀太郎をめざす。いよいよ今日最後ののぼりだ。登りきった山頂には、銀太郎山の山頂を示す標識が、雪に押しつぶされて大きく傾いて立っていた。少し下った雪稜にブッシュで風がよけられそうなところがあり、今日のテンバとする。五剣谷岳が目の前だ。夕陽が銀太郎の左に落ちる頃、五剣谷岳には大きな月が昇っていた。
五剣谷岳   銀太郎テント場
 
 車6:10---悪場峠6:45---第一のピーク7:20---木六山9:50(10:15)---七郎平山11:55(12:10)---銀次郎山13:10(13:35)---銀太郎山15:05---テント場15:10

 寝付いたと思ったら、強風に起こされた。テントがバタバタ言っている。そのうち寝付いてしまったらしい。五時前に起床。静かな朝を迎えることができた。外の様子をうかがうと、まずまずの天気だ。5時30分出発。相変わらず右側のブッシュの中にかすかな踏み跡が見られる。五剣谷岳の登り口に、新潟の人のテントが在り、出発の準備をしていた。一声かけて、最後ののぼりにかかる。

五剣谷岳   最後の登り   山頂 
 右よりの雪面が山頂まで続いていて、ルートの不安はない。五剣谷岳の山頂は、南北に長く、雪面はその中間点に突き上げていた。藪の中を少し戻ると、念願の山頂標識と、三角点だった。
 展望は申し分なし。青里岳はまだ随分と先だ。さらに矢筈岳から粟が岳にかけての稜線が連なっている。まさに川内山塊のど真ん中にいる気分だ。見おろせば、銀太郎、銀次郎と今日下っていく尾根が長々と続いている。長いくだりを考えるとあまり長居はできない。
青里岳    飯豊連峰
 雪面を滑り降りたところで、川崎からの2人に逢う。昨夜は銀次郎の下に泊まったそうだ。新潟の人は、テントも撤収し、全装備をもって青里岳に向かったらしい。テントを撤収すると再びザックが重くなる。部分的にいやらしい下降も難無くこなし、銀次郎岳の登りに一汗かく。五剣谷岳ははるかに遠くなってしまった。たった2時間前に踏みしめた山頂なのに。天気は大丈夫そうだが、先は長くまだ気は抜けない。それでも七郎平山の下りなどはグリセードを交えて時間の短縮を図れた。そのくだり斜面には、人のトレールと交差するように、熊の足跡が残っていた。ひとつ目は、登山靴の跡に並んでいて、ちょうど片手を突いたように見えた。しかし、その先で足跡の上を横切るように5~6個残っていた。人の手のように見えた物も、爪跡が異様に長く残っていた。昨日の夜か、今日の早朝についた熊の足跡に間違いない。
木六山の登りで、地元の人数人と出会う。次の連休に矢筈岳まで縦走する偵察に来たそうだ。水無平を横切り仏峠に上り返せば、長かった山行もいよいよ終わりを迎える。仏峠からは、尾根が広くなり踏み跡も不明瞭だが、左に開けた浅い沢を下ると林道だった。

羽後朝日岳 2006,9

 羽後朝日岳は、和賀山塊の北部で和賀岳に次ぐ標高を誇っている。仙北マタギの活躍した山域で、尾根筋にはかすかな踏み跡が在るのみ。今回は、巻き道もしっかりして、短時間で登頂できる部名垂沢をルートに選んだ。

 部名垂林道を最奥まではいると、地元の車がすでに1台止まっていた。早速準備して歩き始める。夜中に少し雨が降ったようだ。稜線には少しガスがかかっているが、これ以上は悪くならないだろう。

 思ったよりしっかりした踏み跡が右岸に続き、いくつか堰堤を越えていくと、広いゴーロ状の川原歩きとなる。飛び石を渡ったり、水の中をジャブジャブといったりしながら、登って行くと二股に出た。右股は上部にいくつかの滑滝をかけ二の沢畚(もっこ)へと突き上げています。左股にルートを取ると、両岸が狭まっていくつかの滝が出てくる。いずれも5~10㍍ほどで巻き道はしっかりしていて、トラロープもぶら下がったりしている。鉄分を含んだ水がしみだして、沢床を赤く染めた滝を過ぎると、苔が滝一面をおおって緑色の滝に出会う。まき道は左だがこれが最後の滝で、滝上で水が枯れている。いったん下降して、水をたっぷりと汲んでいくことにする。
詰の尾根   志度内モッコ   山頂
 ガラガラの沢の窪みを忠実につめると紅葉の盛りの稜線に飛び出した。さっそく地図を広げて周りの地形と見比べてみる。目指す朝日岳は、くの字に折れ曲がった尾根の先に、ガスに見え隠れしている。
 予想に反して、背の低い潅木に覆われた中にかすかなふみ跡が続いていた。果たしてテント場は?・・・しばらく登ると、笹に覆われた窪地があった。条件はよくないがとりあえずの場所だ。少し安心して最後ののぼりに向かう。ハクサンイチゲの白い花が風にゆれている。初雪はすぐそこに迫っていることだろう。きびしい自然のながれを感じる瞬間でもあった。細々としたしかし、はっきりわかる踏み跡が草原の中を朝日岳に続いている。このあたり夏場はすばらしいお花畑になることだろう。
山頂近し   山頂標識    山頂の石標
 最後のひと登りを頑張るとそこは山頂だった。朝日岳の山頂標識と、昭和3年にかつぎ上げられたと言う石標があるだけだった。時折かかるガスの切れ間に山頂からの眺望を楽しむ。登ってきた尾根の延長線上は、マンダノ沢と朝日沢の分水尾根だが、踏み跡が続いているので少し下ってみるが、かなりハッキリしていた。山頂に戻り、大荒沢岳に向かう尾根を50メートルほど下ると、やや傾斜しているが、素晴らしい幕場があったので早速幕営し、ワインと日本酒で山頂の一時を楽しむ。
 駐車場8:40(8:50)---第8堰堤9:25---第1の滝11:13---二股1140(12:05)---最後の滝13:05(13:10)---稜線13:35(13:45)---山頂14:25
10月1日
 うっすらと雲がたなびいている間から、朝日が顔を出した。朝日岳の夜明け。
   山頂の朝
 軽い朝食で、下山開始。何もなかったように山頂を後にする。
頂上6:40---部名垂沢源頭7:15(7:20)---二股8:10(8:15)---車10:30

小出俣山 2011,4

 前夜仏岩ポケットパークの駐車場に有ったあずまやで快適な一夜を過ごす事が出来た。
川古温泉の駐車場に車を停め、小出俣の林道へと一歩を進める。右手に発電用の調整池を見ながら上流を目指すが、新緑には少し早いようだ。朝方出ていた雲も取れ、気持ちの良い日差しの中、千曲平に到着。ずいぶん昔にマチホド沢に行った記憶が蘇ってくる。
 

林道   登り口 小出俣遠望  1200m付近
左股を橋で渡り、尾根の末端に回り込むと赤布が下がっていた。左寄りに植林の中を登っていくと、やがて尾根にのる事が出来た。藪はそれほど濃くはないが、所々に下がっている赤布に導かれながら、かなり急な尾根を直登する。1000mを越えてやっと雪が出始め、1200mあたりでアイゼンを着けた。左は十二社の峰からの尾根で、右手には明日下山予定の、阿能川岳の稜線が続いている。樹林帯を抜けると視界が一気に開け、不安定なブロックが引っ掛かった小出俣山から、マナイタグラの稜線や、谷川岳万太郎山上越国境の山並みがまぶしい。最後の雪の斜面を越すと、その奥が小出俣山の山頂だった。
     山頂直下
山頂よりの展望
川古温泉に直接降りている稜線は、藪と雪庇が不安定に付いている。
 至福のひと時の後、今日のテントサイトを目指す。マナイタグラの稜線からの分岐は、雪庇を崩すような感じで分かれていた。気持ちの良い雪稜が延々と続き、振り返ると小出俣の山頂がずいぶんと遠くなった。
小出俣山を後に雪稜を行く
阿能川岳のコルが開けた雪面になっていて、時間も3時になったので、今日の行動を打ち切ることにする。テントを張り終えたころには雲が広がり始めてきた。
(タイム)川古温泉7:10---千曲平8:05(8:15)---1485m11:30(11:45)---小出俣山13:12(13:30)---阿能川岳コル15:00
4月22日(曇のち晴)
 朝起きたときは、テントの外はガスっていたが、出発して、阿能川岳まで登りつめた頃から青空が広がりだした。阿能川岳の山頂は、2~3分外れたところにある。
阿能川岳に向かう
今日も展望を楽しみながら、雪稜歩きである。ここからは、昨日あたりに登ってきたトレースが付いていた。程なく登り着いた三岩山で最後の眺望となる。
 三岩山付近
ここから藪と、岩のミックスした痩せ尾根になり、赤布に導かれながらの下降がしばらく続いた。岩場が終わってほっとしたが、それでも赤谷越えまでは延々と稜線が続いている。
 目の下に見えていた、吾妻耶山も少しずつ大きくなってきた頃、ちょうど雪が消えて地面が出たところが有ったので、コーヒータイムとした。一部送電線の巡視路を利用したりしながら、やっと赤谷越えに到着。さらに川古温泉までは1ピッチの降りで、赤い橋が見えて来た時は、ほっとした。
 フキノトウを取ったりしながら、駐車場まで歩き、川古温泉で汗を流し、2日間の山行を締めくくった。
 (タイム)テント場6:45---阿能川岳7:12山頂7:20(7:30)---三岩山7:45---岩場下8:30(8:45)---赤谷越え11:00---川古温泉12:00

赤倉岳~景鶴山2011,5

 
一年の中で、一番楽しく山とふれあえる季節がやって来た。残雪がすべてを隠し、自由にルートを選択できるし、行動時間も十分に確保できる。そして、山が氷の衣を脱ぎ捨てて登山者を迎えてくれるのがうれしい。さて、今年は何処のピークを目指そうか、どんな雪稜にトレースをつけようか?穂高鹿島槍北岳、等々・・・候補はいろいろ浮かんでは消えた。そして目にとまったのが赤倉岳。奥利根湖に遮られ、簡単には近付けない山。2万5千図を眺めていると、至仏山から意外と近い。どの様なラインがすっきりするか?検討してみると、至仏山、猫又川、景鶴山、岩塔ヶ原とキーワードが出そろった。
 5/5
 早朝の鳩待峠、山の鼻へ向かう道はスキーのシュプールが凍っていてよく滑る。山を登りに来て下り道から始まるのもまた面白い。
 左に至仏山、右に尾瀬ヶ原を眺めつつ正面の猫又川二股に向かって歩いていくと、ある瞬間現代社会との境界を越えたと感じた。いよいよ山の霊気とふれ合える領域にやって来た。天気はこの上なく良好。山の精霊の導きに従って猫又川左股を遡る。

猫又川より自然の世界に入る
豊かな残雪が谷を埋め尽くした中を、ひたすら上を目指した。左から合流してきた支流に自然に足が向いた。急な斜面だが、雪は安定している。フタマタ沢の一つ下の沢だった。
 予定より早く至仏山から続く稜線に出る事が出来た。この分だと今日中に赤倉岳往復も可能だ。どこでも自由に歩ける雪面をスズヶ峰まで周囲の雪山の展望を楽しみながら登った。時間はちょうど12時。先ずはテントだけは設営しておく事にした。その時、「平が岳を往復して来た」という単独の登山者がやって来た。彼も何処かにテントを張っていたようだ。
スズヶ峰の稜線
 赤倉岳はずいぶん遠く感じるが、きれいな雪稜が続いている。分岐点が見えぬまま、少し戻るようにして樹林帯を下降して行くと、はっきりとした尾根になってきた。視界が悪いと躊躇しそうな地形だ。赤倉岳西尾根のジャンクションピークまでは、急な雪面をダイレクトに登る。ジャンクションピークに登り着くと、左手眼下に奥利根湖が見下ろせた。
赤倉山の稜線
奥利根源流一帯は山深い。遥か霞んで見える先まで山また山が続いている。雪庇の張り出しに注意しつつ、吊り尾根を越えると念願の赤倉岳山頂。何もないただの雪の頂きだった。
 鳩待峠6:40---山の鼻7:30(7:46)---二股上8:35(8:45)---稜線10:56---1785m11:05(11:20)---スズヶ峰12:10テント設営(13:00)---赤倉岳14:25(14:35)---スズヶ峰15:55 

 5/6
 ベンチレーターからのぞくと雲海の間から朝日が昇る所だった。

テン場の日の出
スキーが楽しめそうな尾根筋を、大白沢山に向かった。割と広めの尾根筋で、猫又川の斜面をトラバース気味に歩いていたので、知らぬうちに平が岳の分岐は通り過ぎてしまった。天気は申し分ないので稜線漫歩である。ガスに閉ざされた時には、地図とコンパスのにらめっこに成ってしまうだろう。
越後三山   赤倉岳   平が岳
 大白沢山から下っていくと、猫又川右股が「ここから下ろうよ」と云っている様な沢が詰め上げて来ていた。1892mピークに荷物を置いて、景鶴山の往復に向かった。手前の岩峰は雪渓が上部まで続いていたので直登した。その先は、痩せ尾根の木登りで、雪を踏み抜くと腰まで潜ってしまう。帰りは樹林の中の巻き道を下った。
岩ノ塔盆地  景鶴山  下降した沢
 1892mピークから猫又川の呼び声に従って二股を目指して下降を開始する。最初は急だった雪の斜面も2、3度曲がり返すと傾斜も落ちてきた。所々流れが現れるようになると、コース取りに気を使うようになる。その昔、西丸震哉が書いていた岩ノ塔盆地とはこのあたりだろうか?下るにつれて、雪渓の割れている所が多くなり、そんな所のトラバースなどは、万一足場が崩れたら、雪解け水もろとも雪渓の下に飲み込まれてしまう。あまり考えないことにする。さらに下降すると周りが広々として来て、どうやら二股のようだ。かろうじて残っていたスノーブリッジで左股を渡り、昨日のトレースに出る事が出来た。猫又川の源頭部を十分に楽しめた2日間だった。
 スズヶ峰6:00---大白沢山6:45---1892mピーク7:15(7:25)---景鶴山8:30---1892mピーク9:25(9:45)---二股11:05(11:15)---山の鼻12:25(12:50)---鳩待峠14:0

剣岳北方稜線2013年

9月19日(快晴)
室堂に降り立ち、雑踏を避けるように登山届を提出。いくつか北方稜線へのアドバイスを受け、雷鳥沢へと向かった。別山乗越への登りも快調にこなし、剣沢にテント設営する。

9月20日
剣岳山頂までのクサリ場で順番待ちを心配したが、まずは順調に後立山からの日の出を見ながら、剣の山頂を踏むことができた。三の窓から先のルートを確認して、今日の核心部へとザックを肩にする。八つ峰を正面に見ながらの岩稜は、長次郎の頭でルンゼからのトラバースが2か所ほどいやらしかった。池の谷乗越手前のピークで池の平から来た単独者と会い、情報交換する。後ろから6人グループが来るはずとの事で、ルートを目で追っていくと小窓の王からの降りに人影を見る。この調子だと池ノ谷ガリーの真ん中ですれ違いそうだ。あまりうれしくはないが、ともかく急ぐことにする。
池ノ谷乗越で八つ峰を登っていたパーティと少し話をする。やはりこの時期はアプローチが大変なようだ。池ノ谷ガリーはガラガラではあるが、それほどの落石にも悩まされず三の窓に降りる事ができた。
小窓の王へは、あっけなく斜上バンドを使って登る事ができた。この先稜線どうしは大変なので、右側の急斜面をトラバースしていく。踏み跡はついているが、露岩の通過や視界の悪いときは、嫌な感じだろう。途中の小雪渓のトラバースも問題なく、小窓から右に雪渓を下り始める。旧鉱山道の入り口で迷うパーティもあるらしいが、今日は天気も良く全く問題にならない。左岸から落ちる滝が目印となる。それより天気が良すぎて、雪で頭を冷やしてもまだ暑い。左に伸びる踏み跡に従い、池の平の小屋までのんびりと下った。

9月21日
今日は阿曽原までなのでのんびりだが、5:50に出発する。八つ峰、チンネの眺めを楽しみながら、仙人峠に登りついた。仙人池を過ぎ仙人温泉の手前では、9月だというのにスノーブリッジを渡るおまけつきだった。
仙人温泉の源泉を見ながら、雲切新道を下降したが、黒部の本流までは、急で又長い降りだった。仙人ダムで高熱隧道の中を通過し、急登の尾根を乗越すと阿曽原温泉だった。


9月22日
まずは、日電歩道まで急な登りが待っていた。日電歩道に入るとほぼ水平な道となり、黒部川の開発とその歴史を思いつつ欅平を目指す。今でこそ整備された水平歩道だが、その初期のころは、想像を絶する道だったことだろう。志合谷の真っ暗なトンネルも靴がぬれる程度で済み、奥鐘山の岸壁に見とれ、最後の急な下りを終えると、トロッコ列車の待つ欅平だった。

穂高から西穂高縦走2015年

9/27(晴れ)
早朝の上高地。大勢の登山者でにぎわっていた。明神を過ぎる頃より自分のペースで歩ける様になった。3日分のテント泊の重量に不安がなくはなかったが、まずは出だし順調である。
横尾の立派な橋を渡りしばらく行くと、ガスが切れ始め屏風岩が姿をあらわす。1ルンゼ、東壁のハングは圧巻である。>

屏風岩
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涸沢テント場
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涸沢の月

(タイム)上高地5:35---明神6:20(6:40)---徳沢7:22(7:35)---横尾8:27(8:40)---本谷橋9:37(9:50)---涸沢12:05

9/28(晴れ)
ザイテングラードを登って、奥穂から西穂山荘まで10時間位と予測を立てる。
5時出発の予定。少し遅れた。だんだん明るくなる中、前穂吊尾根、奥穂、北穂と紅葉に彩られ、今日の天気は申し分なし。涸沢槍のとがった山頂が一段と目を引く。白出のコルに出ると、飛騨側から風を感じる。
一汗かいたところだが、ジャケットと、手袋の風対策で奥穂高山頂めざし、目の前のクサリ場から取りつく。奥穂山頂では、早くも冬の到来を思わせる強風が吹いていた。しかし、一歩岳沢側に回り込むとのどかな日差しが迎えてくれた。展望は申し分なし。目の前にジャンダルム、振り返れば、大キレットの向こうに槍ヶ岳。ジャンダルムの頂に登山者の姿が見える。西穂は、深く切れ込んだ天狗のコルのはるか遠くだ。>

槍ヶ岳
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ジャンダルム
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馬の背

気を引き締めて、馬の背からロバの耳へ核心部の一歩を踏み出す。高度感満点の馬の背のナイフリッジを通過し、ロバの耳のクサリ場だ。ほかのルートに比べ、クサリはかなり少ない。ペンキの丸印も少なく、西穂からの逆コースの方が、見やすい気がした。ルートファインディングを要求されるコースである。
ロバの耳を過ぎると、目の前のジャンダルムを岳沢側から巻く。10㍍程なので荷を置いて頂上に登った。さらにコブ尾根の頭を通って天狗のコルへ一気に下降する。西穂からのパーティとすれ違う。緊張した岩稜の連続だったせいか、久しぶりの登山者の気がした。
コルから先は未知の領域だが、天狗の頭、間ノ岳の通過とクサリ場が続き、予想以上に気の抜けないルートが続いていた。間ノ岳からは、西穂の急な登りが目の前に見えるが、明るいうちにテント場に着ける事が確実となり、一安心である。
西穂高の頂上は、西穂山荘からの往復の登山者がいて、此処までの緊張感からやっと解放された。何人かの登山者と前後しながら、独標で最後の小休止をとり、長かった今日の最後の1ピッチを西穂山荘に向かった。
(タイム)涸沢5:32---ザイテン取付き6:36(6:48)---白出コル7:44(8:05)---奥穂高岳8:45(9:02)---馬の背9:20---ジャンダルム10:02---天狗のコル11:31---天狗の頭11:56(12:10)---間ノ岳12:54---西穂のコル13:14(13:25)---西穂高岳14:10(14:25)---独標15:24(15:32)---西穂山荘16:20

白馬岳~欅平2019,8,2~8,4

 8月2日(晴)
 夜行バスで長野駅に早朝到着。特急バス長野―白馬線1番バスに乗車。早朝はガラガラのバスターミナルだったが、新幹線の到着と同時に、急に人が増え、積み残しが出るほどの混雑となった。栂池高原定刻10:00着。ゴンドラとロープウエイを乗り継いで、自然園駅で下車すると、そこは標高1800mで、最終チェックの後、ビジターセンター前から登山道に入る。頭上から照り付ける太陽の洗礼をいきなり受ける。しばらく樹林帯の登りが続いたが、大きな岩がゴロゴロしだし、木道が現れると天狗原だった。
視界も開け、目の前に広がる乗鞍岳を目指して登って行く。12時を過ぎ、下山してくる登山者も多くなってきた。雪渓を越えて、ひと登りすると乗鞍岳山頂で、眼下に白馬大池を見下ろす事が出来た。池の周りを1/4周すると大池山荘で、早速テントの申し込みをする。テント場は超満員で、夕方には限界を越えた状態であった。>

白馬大池

チングルマ
<池14:25>
コマクサ

(タイム)自然園駅11:00---天狗原12:45(12:50)---乗鞍岳13:51(14:00)---白馬大池
8月3日(晴のち午後ガス)
夜間断続的にテントにあたる雨音で、目を覚ましたが、朝起きてみると、雲はかかっているが、天気は問題なさそうなので一安心。
緩やかな尾根に沿ってひと登りすると、船越の頭と標識のあるピークに到着する。振り返れば、白馬大池もかなり小さくなり、雲の上に、戸隠、妙高が小島のように浮かんでいた。花もちょうど盛りで、早くもコマクサとも対面する事が出来た。
さらに小蓮華山へ急な登りが続くが、お花畑にいやされて、カメラを出すことが増えてくる。白馬三山、五竜鹿島槍、そして雪倉岳に続く稜線と、左から右まで最高の展望が広がっている。船越の頭からワンピッチで、小蓮華山到着。旭岳が大きな山容でせまり、そこから清水岳へと続く稜線が、遥か遠くに続いている。>

五竜岳鹿島槍ヶ岳
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白馬大池
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白馬岳の登り
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旭岳の稜線
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ウルップ草
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ミヤマオダマキ
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剣岳
<白馬山頂から、白馬山荘を素通りし、旭岳の巻道に入ってやっと人も少なくなり、ほっとした気持ちになった。旭岳を巻いていくとその先に、今まで隠れていた小旭が、意外と大きく迫ってきた。これも左から巻くのだが、かなりの迫力だ。清水岳を往復したパーティとすれ違う。巻き終わった所が、広場となっていて、清水平と云われている所らしい。ルートは明瞭だが、標識はほとんど見掛けなくなった。>
清水平から清水岳