日本の山

焼石岳 2000,10

 中沼登山口まで車ではいり、風が強いなか朝食を取る。
 ゆるやかな登りを、30分ほどで右手に中沼が現れる。新しくなった木道にそって歩き始めると、ポツリと顔に冷たいものがあたり、あっという間に雪が吹きつけてくる。木道の上には、所々撤去した古い木道の残材が、山のように積まれている。上沼を過ぎると、やがて石沼からのコースが合流してくる。沢沿いの道になり、吹きつける雪も本格的となる。
 ブナの林の中をしばらく登ると、小広く開けた銀明水に着く。一段上には、新しい非難小屋が建っていて人の声が聞こえた。小屋の中は、土足ではいるのをためらうぐらいにきれいな板ばりの床になっている。

 一休みの後、雨具をつけて思いきって出発する。小屋の前から急登をゆくとかん木帯となり、左前方に真っ白くなった横岳がガスの間に見え隠れしている。完全に冬山の様子になった姥石平に着く。ケルンの影に荷物をデポし焼石岳山頂へと向かう。泉水沼は、半分凍っており、夏のお花畑の面影が今は全くない。稜線に出ると、強風で思わず顔を背けてしまう。山頂までは急登ひと頑張りだが、標識があるだけで展望は皆無だ。早々に引き返す。
 分岐点まで戻り、吹きさらしの姥石平を東焼石岳へ向かう。山頂がガスの間にときおり顔を出す。なだらかな東焼石岳は特に風が強く、しばしば立ち止まって風をやり過ごす。はるか前方には、経塚山がやけに大きく見え、左下、南本内川源頭に瑠璃色に光る池がいくつか見下ろせる。
 東焼石岳からさらになだらかな稜線を六沢山に向かうと、夏油温泉から登ってきた二人の登山者に会う。六沢山からは、やせた尾根を慎重に下るようになる。はるか前方に今夜の泊まり場の金明水の避難小屋が見える。風もだいぶ弱くなってきた。天竺山を巻くようにして、最後は草紅葉の階段を、金明水に一気に降る。
 金明水は、岩の割れ目より豊かな水量で澄んだ水が湧き出していた。又、避難小屋もきれいに整理されていて、気持ちの良い一夜を過ごせそうだ。時間もあり、ストーブで、ぬれたものも乾いてしまった。

 相変わらずの天気の中、7時半に避難小屋を出発する。金明水の涌き水の脇を通り、深くえぐれた沢状の中、経塚山を目指す。稜線上に出ると、昨日と同じように風が強い。しかし、予想していたより楽に経塚山に登りつく。風に吹きたてられて、山頂を通過し少し下ると、嘘のように風が穏やかになる。大きく左に向きを変え、一路夏油温泉へと向かう。しばらくかん木帯をいくと、小さく開けた、お坪の庭という所に出る。小休止にもってこいの場所だ。
 ここからしばらく登り下りの繰り返しになるが、きのこを探したりしながらノンビリと歩く。ブナハリタケ、クリタケ、ムキタケ、ナメコ等収穫する。いよいよ夏油川に向かってジグザグの急下降となり、最後は、くさりの垂れている岩場が出てくる。赤い橋で、左岸に渡り、ここから林道になる。だらだらと下って行くと、夏油温泉の屋根が見え牛形山の登山口だ。

光明山 2001,10

 新潟と福島の県境の位置する光明山。その昔、砥石を切り出し、運び下ろしていた道が残っている。途中のスラブには、ノミで削ったステップや、苦労して砥石を運んだ痕跡が残っている。 
三条市内にて食料の買出しを済ませ、一路笠掘ダムへと向かう。夕方人が少なくなる頃にダムサイトの駐車場の脇にテントを設営する。

  朝食もそこそこに、出発する。ダムサイトから少し下ったところが登山口で、登山届を書いて歩き始める。
 緩やかな樹林帯の登りが続き、だんだんペースが上がってくる頃、尾根を左に乗っ越し3合目、七曲峠だ。あたりは低潅木帯で、振り返れば、笠堀湖が緑色に輝き、奥には粟が岳が頭をのぞかせてきた。しばらく山腹を巻くように登り、湧き水の流れている満清水や、水の干上がってしまったガバ井戸をすぎると、山ノ神の祭られた5合目につく。
 展望が開け、急なのぼりが続く。笠掘湖の周囲の山は雪崩に磨かれた、むき出しのスラブが荒々しく広がっている。思ったより急登が続いてやっとのことで、前光明山につく。山頂は、登山道から左にそれた所にあり、まさに360度の展望がえられる。正面には、これから向かう光明山に岩尾根が続いている。左手は、粟が岳から矢筈岳の稜線、右手は、守門岳、浅草岳。矢筈岳の右遥か遠くには、御神楽岳が見えている。ちょうどこのあたりは、5万図の境で地図を3枚も、4枚も広げて周囲の展望を楽しむ。前光明は、地図では、万之助山になっている。
 いよいよ、奥光明に向かっての最後ののぼりにかかる。中光明をはさんでの岩尾根は、かなり切れ込みが深く、気合を入れて出発する。気持ちの良い風を受けながら中光明を過ぎると、砥石運搬中継小屋跡であり、テントも張れる広場になっていた。ここから本当の最後ののぼりで、奥光明の山頂につく。小さな石の社と、山頂を示すプレート、御影石の石柱。周囲の眺めは申し分なし。浅草岳がずいぶんと近くなり、粟ガ岳はかなり形が変わって見えるようになった。
展望を十分に堪能して、去りがたい山頂をあとに来た道を引き返す。とちゅう木喰上人が修行したという竪穴を見る。かなり深い岩穴で、ちょっと中には入れそうもない。石仏をいくつも見ながら急な下降をつづけ、樹林帯に差し掛かった頃ポツリと雨が落ちてきた。それでも、本降りとなる前に下山できたのは幸いであった。 
 ダムサイト6:25---3合目七曲峠7:00---五合目8:15---万之助山8:40(8:50)---中光明9:30---光明山10:04(10:40)---前光明11:40---ダムサイト14:40

矢筈岳 2002、4

 川内山塊の盟主矢筈岳。道はないので、残雪を利用できる時期を見ながら出かける。 
 早すぎると林道は通れないし、遅すぎるとヤブに阻まれてしまう。
 
 室谷部落をすぎ、倉谷林道の終点まで、車ではいる事が出来た。雪解けが早いので大丈夫とは思っていたが、まずは一安心。魚止山を目指して、急な東尾根に取り付く。登り始めはルートが不明瞭だが、すぐにけもの道のような踏みあとが見つかり、藪をかき分けながらの登りになる。ひたすら3時間登りつめると、ひょっこりと魚止山の山頂に飛び出す。眼前には、矢筈岳から粟が岳にかけての展望が広がっている。3時間の疲れも吹っ飛ぶ眺めに感動する。

魚止山~テント場
 ここからは、かなり雪堤が利用できるので助かる。続く1120㍍ピークは、雪がついた広々としたところだ。テントを張るには良さそうなところだが、時間も早いし先も長いので、更に先へと進む。
 残雪の落ちた稜線は藪漕ぎがまっている。右手には早出川源流のガンガラシバナのスラブが切り立って広がっている。30㍍の藪まじりの岩場を越すと1066㍍ピーク。再び藪に突入し、ひたすら登るだけだ。駒形山からの尾根が合わさる三川分水峰は、茂みのなかに土の露出した空き地があり、今日の泊まり場に決定。夕方、単独行者がすぐ下にテントを張る。中の又山から藪漕ぎ3日目で、さらに粟が岳に向けて縦走するという。
テント場からの稜線
 林道終点6:20---魚止山9:40(10:15)---1120ピーク10:40---駒形分岐12:45

 今日は長時間行程なので、明るくなると同時に出発する。雪稜を下り、藪漕ぎで1049㍍峰を越すと、青い岩のむき出しになった最低コルとなる。早出川の源頭をとりまくように、稜線が曲がりくねっているので、矢筈岳はなかなか近くならない。不安定な雪堤にルートを選びながら前進する。

早出川源流
 1051㍍峰にむけて、さらに藪をこぎ雪稜をたどると、いよいよ矢筈岳の稜線が目の前に広がってきた。まず前矢筈岳の雪壁の登りにかかる。雪は柔らかく、キックステップで快適に登れるが、滑ったら、上矢筈沢へまっさかさまなので、おのずと慎重な行動となる。
粟が岳
青里岳
ここからは、ほとんど上り下りがないが、一段ときびしい藪である。ちいさな岩場を右から巻き、最後に雪の斜面を登ると憧れの矢筈岳山頂だった。
前矢筈より矢筈岳
矢筈岳
     雪稜の下り
幾重にも重なる山並みに見飽きることのない山頂だが、長い下山を考えると長居は出来ない。登ってきたルートを確実に、いくつものピークを越えて下降する。テントを撤収し再びザックは重くなったが、気合を入れてひとつひとつ藪をかき分けていく。最後の急な登り返しで1120㍍ピークにたどり着くと、あとはほとんど登りがないので少しは安心する。魚止山からの展望を最後に、雨の降り始めた東尾根をひたすら下り続けた。
 駒形分岐発4:50---前矢筈岳7:15---矢筈岳7:40(8:10)---テントサイト(駒形分岐)10:45(11:20)---1120ピーク1:15---魚止山1:30(1:50)---林道3:45

毛猛山 2003,4

 六十里越をはさんで、浅草岳と向かい合っていて、その尾根は、未丈ヶ岳から奥只見湖へと延びている。
 こったが沢から六十里越えの間を偵察した結果、足沢出会いに末沢川本流を渡る橋があり、林道が足沢左岸に沿って上流に伸びている。石滝沢スノージェットの手前に車を止め、この林道に向かう。只見線の陸橋下には新しい靴跡があったが、奥には向かっておらず、さりとて末端尾根から藪こぎも気がすすまない。
 林道をしばらくたどり、堰堤が見えてくると右手に土で汚れた雪渓が出会い、どうやら稜線まで抜けることが出来そうに見える。かなり硬い雪面をキックステップで登り、さいごは急でやせ細った雪のブロックをだます様にしてこの沢を抜ける。降りのために、赤テープを2、3枚付けておく。広い雪面に出ると、赤布を発見し、少し登るとやせた尾根に出て、はっきりした踏み跡が続いている。これで、記録にあった足沢山への踏み跡に乗ったことになり一安心。前方には、足沢山、太郎助山が望まれ、振り返れば、浅草岳が見えてくる。 クマ狩りの偵察だろうか?土地の人が双眼鏡を覗いているのに出くわした。

浅草岳   守門岳   太郎助山
 やせた稜線に続く踏み跡は、かなり歩き易く大いに助かるが、先はまだまだ長い。最後は雪の急斜面を直登して足沢山の山頂に到達する。越後三山、守門岳、浅草岳の右の方に霞んでいるのは、会津朝日だろうか?見飽きることはないが、太郎助山はまだ遠い。尾根は左に曲がり、内桧岳の分岐までは雪面を歩く。ここからは、藪と、雪面を交互に進むようになる。2人のパーテイが降りてくるのを見かけるが、我々は藪の中、彼らは下の雪渓ですれ違いとなる。
 さらに、太郎助の登りにかかった雪面で、太郎助山から降りてきた女性と合う。そろそろ今日のテント場が気になる頃だ。
藪がひどいし、尾根も痩せているので、平らな雪面を探すつもりで、上部をうかがっていると,また2人が降りてきた。東京からきたことを話すと、「好くこんな山へ」と言うので「こんな山だからこそ」と答えてすれ違った。後でわかったのだが、越後の吉田さんだった。昨年の矢筈岳でも時間差はあったものの、同じ日に登頂していた。まだ何人かが下山してくるようだ。
桧岳    中岳、毛猛山
 太郎助山の最後は、かなりの藪となっていた。そしてヤット登りきった山頂は、2~3メートルの地面が露出していた。まさにラッキーと言うしかない。テントがやっと拡げられるだけの広さ。その先には、毛猛山の三角形の山頂を望み、今日の疲労感と明日の登頂意欲が混在する一瞬だった。もはや皆下山していき、山の中には、我々だけとなった。テントを張り終える頃には、ワインも冷え1日の疲労を癒してくれる。
 足沢出合7:00---雪渓出合7:30---稜線8:40---足沢山11:15(11:50)---太郎助山15:30

  素晴らしい天気で1日が始まる。しかし、今日の行程もかなり厳しいことが予想される。山頂を占領しておくわけにもいかないので、テントは撤収してデポし、いきなり藪へ突入する。しばらく藪と格闘すると、左側の雪渓に出たのでホッとする。踏み跡はほとんどなくなり、ちょっとした藪にも時間が過ぎていく。百字が岳では予想以上の時間が過ぎ先が思いやられる。右側の雪面と、藪を交互につないで中岳までは、さほどでなく到着する。正面の毛猛山は、山頂直下が藪で守られて、なかなか大変そうだ。思わず帰りの時間を計算してみる。ぎりぎりセーフと言うところか?

朝の毛猛山   桧岳
 
百字ヶ岳、毛猛山  百字ヶ岳   桧岳
中岳のコルから最後の藪に突入する。尾根が広がってきたので、念のため3枚ほど赤テープを付けておく。足は地に着かず腕で枝を押し分けて、ひたすら上を目指すだけだ。やっとたどり着いた山頂は、三角点があるだけの狭い所だ。四方は全て藪に囲まれ、山頂だけが開けている。大鳥岳から未丈岳にかけては、雪の着き方が多い。時間が気になるので、早々に山頂を後にする。
毛猛山    毛猛山頂三角点
 慎重に方向を定め、中岳のコルまで降ると、少し安心できる。百字ヶ岳から太郎助山を見ると、かなりしんどそうに見える。ひたすら登り返し、山頂直下の藪と思い、やけくそで登ってみると、太郎助山は、あと一つ先の藪の上だった。
 太郎助山で、又荷物が重くなったが、時間の方は、何とか大丈夫のようだ。足沢山のコルでは雪堤からしづくがしたたっていて水筒に補充する。足沢山へは、トラバース気味にのぼり、山頂をまこうか少し迷うが、最後は、足沢山に直接登ってしまった。下を見ると、気の遠くなりそうなほどはるか下に、国道を見下ろすことが出来る。しかし、ここから先は、道もはっきりしているので、気を取り直して降りはじめる。
 最後のピークの手前に、赤布が2枚下がっていたが、少し先、昨日のぼった所から広がった尾根を降りはじめる。少し下り、右寄りに行くと昨日の雪渓だが、真っ直ぐに踏み後らしきものが続いているので、それをたどって見る。しかしそれはすぐに消えてしまい、ブナの新緑の中の藪漕ぎとなった。かなり下まで来ているようなので、尾根筋を外さないよう注意してさらに下降する。雪崩防止柵が右手に現れ、只見線の線路が見えてくる。降りきった所は、昨日靴跡が途切れていたちょうど其処の所だった。
 太郎助山5:45---百字が岳6:45---中岳7:25---毛猛山8:10(8:20)---中岳8:50---百字が岳9:20---太郎助山10:10(10:35)---足沢山---13:00(13:10)---車15:15

五剣谷岳 2005,4

 川内山塊五剣谷岳を登るため、早朝悪場峠を目指すが、残雪のため峠直下にて通行止めとなる。新潟、川崎の車がやってくる。新潟の人は、先週も来たらしく、その時は60cmの残雪だったとか。
 天気が気になるがともかく準備を整えて出発する。しばらく舗装道路を進み、悪場峠の最高点を越えたすぐのところに、右からゆるやかな沢が出会っており、登り口らしいが、トレースが見当たらない。少し先まで進むと、2枚の赤布が下がっている。藪をかき分けて登り始める。あまり人が入っていないようだ。それでもしばらくすると、かすかな踏み跡に出会い、やがて小さなピークを過ぎると、仏峠に出た。

仏峠    グシの峰分岐   カタクリ
 いよいよ五剣谷岳に向けての始まりだ。尾根を右にそれて、水無平へと下降。広い雪原を横切る。帰りに視界がないといやなところだが、杉の木がよい目印となる。第三の単独の登山者と出会う。水無平からは、ジグザグの急登に、一汗かき、658mのピークだ。さらに木六山を目指して尾根の踏み跡を追うが、苦しいのぼりだ。木六山山頂は雪のドームに標識があり、前方には銀次郎、銀太郎と気が遠くなりそうな尾根がつづいている。眺めは一気に広がった。天気も安定した青空が広がってきた。
木六山
 木六山からは、急下降した後、樹林の中の急な雪面を登るようになる。雪面に残されたトレースをひたすら追い続け、登りついた雪のピークが七郎平山だ。銀次郎山の三角形の山頂が随分と近くなった。
銀次郎   粟が岳   銀次郎、銀太郎
 少し先で銀次郎を往復してきた5~6人のグループが休んでいた。この先には、銀次郎往復の第三の人と、青里岳を目指している新潟の人だけらしい。相次ぐアップダウンに気合を入れなおし、まずは銀次郎山を目指す。尾根の左側は雪庇が崩れた状態になっていて、雪堤が崩れて行き詰まると右のブッシュの中に踏み跡が続いている。
 銀次郎山頂は、雪の下に隠れていた。銀太郎も随分と大きく目の前に広がり、振り返れば今日越えてきた山々が幾重にも連なって見える。銀次郎を超えたところは、緩やかな雪稜となっていて、泊まるには都合よさそうな地形だが、明日のことを考えて少しでも先にと、銀太郎をめざす。いよいよ今日最後ののぼりだ。登りきった山頂には、銀太郎山の山頂を示す標識が、雪に押しつぶされて大きく傾いて立っていた。少し下った雪稜にブッシュで風がよけられそうなところがあり、今日のテンバとする。五剣谷岳が目の前だ。夕陽が銀太郎の左に落ちる頃、五剣谷岳には大きな月が昇っていた。
五剣谷岳   銀太郎テント場
 
 車6:10---悪場峠6:45---第一のピーク7:20---木六山9:50(10:15)---七郎平山11:55(12:10)---銀次郎山13:10(13:35)---銀太郎山15:05---テント場15:10

 寝付いたと思ったら、強風に起こされた。テントがバタバタ言っている。そのうち寝付いてしまったらしい。五時前に起床。静かな朝を迎えることができた。外の様子をうかがうと、まずまずの天気だ。5時30分出発。相変わらず右側のブッシュの中にかすかな踏み跡が見られる。五剣谷岳の登り口に、新潟の人のテントが在り、出発の準備をしていた。一声かけて、最後ののぼりにかかる。

五剣谷岳   最後の登り   山頂 
 右よりの雪面が山頂まで続いていて、ルートの不安はない。五剣谷岳の山頂は、南北に長く、雪面はその中間点に突き上げていた。藪の中を少し戻ると、念願の山頂標識と、三角点だった。
 展望は申し分なし。青里岳はまだ随分と先だ。さらに矢筈岳から粟が岳にかけての稜線が連なっている。まさに川内山塊のど真ん中にいる気分だ。見おろせば、銀太郎、銀次郎と今日下っていく尾根が長々と続いている。長いくだりを考えるとあまり長居はできない。
青里岳    飯豊連峰
 雪面を滑り降りたところで、川崎からの2人に逢う。昨夜は銀次郎の下に泊まったそうだ。新潟の人は、テントも撤収し、全装備をもって青里岳に向かったらしい。テントを撤収すると再びザックが重くなる。部分的にいやらしい下降も難無くこなし、銀次郎岳の登りに一汗かく。五剣谷岳ははるかに遠くなってしまった。たった2時間前に踏みしめた山頂なのに。天気は大丈夫そうだが、先は長くまだ気は抜けない。それでも七郎平山の下りなどはグリセードを交えて時間の短縮を図れた。そのくだり斜面には、人のトレールと交差するように、熊の足跡が残っていた。ひとつ目は、登山靴の跡に並んでいて、ちょうど片手を突いたように見えた。しかし、その先で足跡の上を横切るように5~6個残っていた。人の手のように見えた物も、爪跡が異様に長く残っていた。昨日の夜か、今日の早朝についた熊の足跡に間違いない。
木六山の登りで、地元の人数人と出会う。次の連休に矢筈岳まで縦走する偵察に来たそうだ。水無平を横切り仏峠に上り返せば、長かった山行もいよいよ終わりを迎える。仏峠からは、尾根が広くなり踏み跡も不明瞭だが、左に開けた浅い沢を下ると林道だった。

羽後朝日岳 2006,9

 羽後朝日岳は、和賀山塊の北部で和賀岳に次ぐ標高を誇っている。仙北マタギの活躍した山域で、尾根筋にはかすかな踏み跡が在るのみ。今回は、巻き道もしっかりして、短時間で登頂できる部名垂沢をルートに選んだ。

 部名垂林道を最奥まではいると、地元の車がすでに1台止まっていた。早速準備して歩き始める。夜中に少し雨が降ったようだ。稜線には少しガスがかかっているが、これ以上は悪くならないだろう。

 思ったよりしっかりした踏み跡が右岸に続き、いくつか堰堤を越えていくと、広いゴーロ状の川原歩きとなる。飛び石を渡ったり、水の中をジャブジャブといったりしながら、登って行くと二股に出た。右股は上部にいくつかの滑滝をかけ二の沢畚(もっこ)へと突き上げています。左股にルートを取ると、両岸が狭まっていくつかの滝が出てくる。いずれも5~10㍍ほどで巻き道はしっかりしていて、トラロープもぶら下がったりしている。鉄分を含んだ水がしみだして、沢床を赤く染めた滝を過ぎると、苔が滝一面をおおって緑色の滝に出会う。まき道は左だがこれが最後の滝で、滝上で水が枯れている。いったん下降して、水をたっぷりと汲んでいくことにする。
詰の尾根   志度内モッコ   山頂
 ガラガラの沢の窪みを忠実につめると紅葉の盛りの稜線に飛び出した。さっそく地図を広げて周りの地形と見比べてみる。目指す朝日岳は、くの字に折れ曲がった尾根の先に、ガスに見え隠れしている。
 予想に反して、背の低い潅木に覆われた中にかすかなふみ跡が続いていた。果たしてテント場は?・・・しばらく登ると、笹に覆われた窪地があった。条件はよくないがとりあえずの場所だ。少し安心して最後ののぼりに向かう。ハクサンイチゲの白い花が風にゆれている。初雪はすぐそこに迫っていることだろう。きびしい自然のながれを感じる瞬間でもあった。細々としたしかし、はっきりわかる踏み跡が草原の中を朝日岳に続いている。このあたり夏場はすばらしいお花畑になることだろう。
山頂近し   山頂標識    山頂の石標
 最後のひと登りを頑張るとそこは山頂だった。朝日岳の山頂標識と、昭和3年にかつぎ上げられたと言う石標があるだけだった。時折かかるガスの切れ間に山頂からの眺望を楽しむ。登ってきた尾根の延長線上は、マンダノ沢と朝日沢の分水尾根だが、踏み跡が続いているので少し下ってみるが、かなりハッキリしていた。山頂に戻り、大荒沢岳に向かう尾根を50メートルほど下ると、やや傾斜しているが、素晴らしい幕場があったので早速幕営し、ワインと日本酒で山頂の一時を楽しむ。
 駐車場8:40(8:50)---第8堰堤9:25---第1の滝11:13---二股1140(12:05)---最後の滝13:05(13:10)---稜線13:35(13:45)---山頂14:25
10月1日
 うっすらと雲がたなびいている間から、朝日が顔を出した。朝日岳の夜明け。
   山頂の朝
 軽い朝食で、下山開始。何もなかったように山頂を後にする。
頂上6:40---部名垂沢源頭7:15(7:20)---二股8:10(8:15)---車10:30

小出俣山 2011,4

 前夜仏岩ポケットパークの駐車場に有ったあずまやで快適な一夜を過ごす事が出来た。
川古温泉の駐車場に車を停め、小出俣の林道へと一歩を進める。右手に発電用の調整池を見ながら上流を目指すが、新緑には少し早いようだ。朝方出ていた雲も取れ、気持ちの良い日差しの中、千曲平に到着。ずいぶん昔にマチホド沢に行った記憶が蘇ってくる。
 

林道   登り口 小出俣遠望  1200m付近
左股を橋で渡り、尾根の末端に回り込むと赤布が下がっていた。左寄りに植林の中を登っていくと、やがて尾根にのる事が出来た。藪はそれほど濃くはないが、所々に下がっている赤布に導かれながら、かなり急な尾根を直登する。1000mを越えてやっと雪が出始め、1200mあたりでアイゼンを着けた。左は十二社の峰からの尾根で、右手には明日下山予定の、阿能川岳の稜線が続いている。樹林帯を抜けると視界が一気に開け、不安定なブロックが引っ掛かった小出俣山から、マナイタグラの稜線や、谷川岳万太郎山上越国境の山並みがまぶしい。最後の雪の斜面を越すと、その奥が小出俣山の山頂だった。
     山頂直下
山頂よりの展望
川古温泉に直接降りている稜線は、藪と雪庇が不安定に付いている。
 至福のひと時の後、今日のテントサイトを目指す。マナイタグラの稜線からの分岐は、雪庇を崩すような感じで分かれていた。気持ちの良い雪稜が延々と続き、振り返ると小出俣の山頂がずいぶんと遠くなった。
小出俣山を後に雪稜を行く
阿能川岳のコルが開けた雪面になっていて、時間も3時になったので、今日の行動を打ち切ることにする。テントを張り終えたころには雲が広がり始めてきた。
(タイム)川古温泉7:10---千曲平8:05(8:15)---1485m11:30(11:45)---小出俣山13:12(13:30)---阿能川岳コル15:00
4月22日(曇のち晴)
 朝起きたときは、テントの外はガスっていたが、出発して、阿能川岳まで登りつめた頃から青空が広がりだした。阿能川岳の山頂は、2~3分外れたところにある。
阿能川岳に向かう
今日も展望を楽しみながら、雪稜歩きである。ここからは、昨日あたりに登ってきたトレースが付いていた。程なく登り着いた三岩山で最後の眺望となる。
 三岩山付近
ここから藪と、岩のミックスした痩せ尾根になり、赤布に導かれながらの下降がしばらく続いた。岩場が終わってほっとしたが、それでも赤谷越えまでは延々と稜線が続いている。
 目の下に見えていた、吾妻耶山も少しずつ大きくなってきた頃、ちょうど雪が消えて地面が出たところが有ったので、コーヒータイムとした。一部送電線の巡視路を利用したりしながら、やっと赤谷越えに到着。さらに川古温泉までは1ピッチの降りで、赤い橋が見えて来た時は、ほっとした。
 フキノトウを取ったりしながら、駐車場まで歩き、川古温泉で汗を流し、2日間の山行を締めくくった。
 (タイム)テント場6:45---阿能川岳7:12山頂7:20(7:30)---三岩山7:45---岩場下8:30(8:45)---赤谷越え11:00---川古温泉12:00

赤倉岳~景鶴山2011,5

 
一年の中で、一番楽しく山とふれあえる季節がやって来た。残雪がすべてを隠し、自由にルートを選択できるし、行動時間も十分に確保できる。そして、山が氷の衣を脱ぎ捨てて登山者を迎えてくれるのがうれしい。さて、今年は何処のピークを目指そうか、どんな雪稜にトレースをつけようか?穂高鹿島槍北岳、等々・・・候補はいろいろ浮かんでは消えた。そして目にとまったのが赤倉岳。奥利根湖に遮られ、簡単には近付けない山。2万5千図を眺めていると、至仏山から意外と近い。どの様なラインがすっきりするか?検討してみると、至仏山、猫又川、景鶴山、岩塔ヶ原とキーワードが出そろった。
 5/5
 早朝の鳩待峠、山の鼻へ向かう道はスキーのシュプールが凍っていてよく滑る。山を登りに来て下り道から始まるのもまた面白い。
 左に至仏山、右に尾瀬ヶ原を眺めつつ正面の猫又川二股に向かって歩いていくと、ある瞬間現代社会との境界を越えたと感じた。いよいよ山の霊気とふれ合える領域にやって来た。天気はこの上なく良好。山の精霊の導きに従って猫又川左股を遡る。

猫又川より自然の世界に入る
豊かな残雪が谷を埋め尽くした中を、ひたすら上を目指した。左から合流してきた支流に自然に足が向いた。急な斜面だが、雪は安定している。フタマタ沢の一つ下の沢だった。
 予定より早く至仏山から続く稜線に出る事が出来た。この分だと今日中に赤倉岳往復も可能だ。どこでも自由に歩ける雪面をスズヶ峰まで周囲の雪山の展望を楽しみながら登った。時間はちょうど12時。先ずはテントだけは設営しておく事にした。その時、「平が岳を往復して来た」という単独の登山者がやって来た。彼も何処かにテントを張っていたようだ。
スズヶ峰の稜線
 赤倉岳はずいぶん遠く感じるが、きれいな雪稜が続いている。分岐点が見えぬまま、少し戻るようにして樹林帯を下降して行くと、はっきりとした尾根になってきた。視界が悪いと躊躇しそうな地形だ。赤倉岳西尾根のジャンクションピークまでは、急な雪面をダイレクトに登る。ジャンクションピークに登り着くと、左手眼下に奥利根湖が見下ろせた。
赤倉山の稜線
奥利根源流一帯は山深い。遥か霞んで見える先まで山また山が続いている。雪庇の張り出しに注意しつつ、吊り尾根を越えると念願の赤倉岳山頂。何もないただの雪の頂きだった。
 鳩待峠6:40---山の鼻7:30(7:46)---二股上8:35(8:45)---稜線10:56---1785m11:05(11:20)---スズヶ峰12:10テント設営(13:00)---赤倉岳14:25(14:35)---スズヶ峰15:55 

 5/6
 ベンチレーターからのぞくと雲海の間から朝日が昇る所だった。

テン場の日の出
スキーが楽しめそうな尾根筋を、大白沢山に向かった。割と広めの尾根筋で、猫又川の斜面をトラバース気味に歩いていたので、知らぬうちに平が岳の分岐は通り過ぎてしまった。天気は申し分ないので稜線漫歩である。ガスに閉ざされた時には、地図とコンパスのにらめっこに成ってしまうだろう。
越後三山   赤倉岳   平が岳
 大白沢山から下っていくと、猫又川右股が「ここから下ろうよ」と云っている様な沢が詰め上げて来ていた。1892mピークに荷物を置いて、景鶴山の往復に向かった。手前の岩峰は雪渓が上部まで続いていたので直登した。その先は、痩せ尾根の木登りで、雪を踏み抜くと腰まで潜ってしまう。帰りは樹林の中の巻き道を下った。
岩ノ塔盆地  景鶴山  下降した沢
 1892mピークから猫又川の呼び声に従って二股を目指して下降を開始する。最初は急だった雪の斜面も2、3度曲がり返すと傾斜も落ちてきた。所々流れが現れるようになると、コース取りに気を使うようになる。その昔、西丸震哉が書いていた岩ノ塔盆地とはこのあたりだろうか?下るにつれて、雪渓の割れている所が多くなり、そんな所のトラバースなどは、万一足場が崩れたら、雪解け水もろとも雪渓の下に飲み込まれてしまう。あまり考えないことにする。さらに下降すると周りが広々として来て、どうやら二股のようだ。かろうじて残っていたスノーブリッジで左股を渡り、昨日のトレースに出る事が出来た。猫又川の源頭部を十分に楽しめた2日間だった。
 スズヶ峰6:00---大白沢山6:45---1892mピーク7:15(7:25)---景鶴山8:30---1892mピーク9:25(9:45)---二股11:05(11:15)---山の鼻12:25(12:50)---鳩待峠14:0

剣岳北方稜線2013年

9月19日(快晴)
室堂に降り立ち、雑踏を避けるように登山届を提出。いくつか北方稜線へのアドバイスを受け、雷鳥沢へと向かった。別山乗越への登りも快調にこなし、剣沢にテント設営する。

9月20日
剣岳山頂までのクサリ場で順番待ちを心配したが、まずは順調に後立山からの日の出を見ながら、剣の山頂を踏むことができた。三の窓から先のルートを確認して、今日の核心部へとザックを肩にする。八つ峰を正面に見ながらの岩稜は、長次郎の頭でルンゼからのトラバースが2か所ほどいやらしかった。池の谷乗越手前のピークで池の平から来た単独者と会い、情報交換する。後ろから6人グループが来るはずとの事で、ルートを目で追っていくと小窓の王からの降りに人影を見る。この調子だと池ノ谷ガリーの真ん中ですれ違いそうだ。あまりうれしくはないが、ともかく急ぐことにする。
池ノ谷乗越で八つ峰を登っていたパーティと少し話をする。やはりこの時期はアプローチが大変なようだ。池ノ谷ガリーはガラガラではあるが、それほどの落石にも悩まされず三の窓に降りる事ができた。
小窓の王へは、あっけなく斜上バンドを使って登る事ができた。この先稜線どうしは大変なので、右側の急斜面をトラバースしていく。踏み跡はついているが、露岩の通過や視界の悪いときは、嫌な感じだろう。途中の小雪渓のトラバースも問題なく、小窓から右に雪渓を下り始める。旧鉱山道の入り口で迷うパーティもあるらしいが、今日は天気も良く全く問題にならない。左岸から落ちる滝が目印となる。それより天気が良すぎて、雪で頭を冷やしてもまだ暑い。左に伸びる踏み跡に従い、池の平の小屋までのんびりと下った。

9月21日
今日は阿曽原までなのでのんびりだが、5:50に出発する。八つ峰、チンネの眺めを楽しみながら、仙人峠に登りついた。仙人池を過ぎ仙人温泉の手前では、9月だというのにスノーブリッジを渡るおまけつきだった。
仙人温泉の源泉を見ながら、雲切新道を下降したが、黒部の本流までは、急で又長い降りだった。仙人ダムで高熱隧道の中を通過し、急登の尾根を乗越すと阿曽原温泉だった。


9月22日
まずは、日電歩道まで急な登りが待っていた。日電歩道に入るとほぼ水平な道となり、黒部川の開発とその歴史を思いつつ欅平を目指す。今でこそ整備された水平歩道だが、その初期のころは、想像を絶する道だったことだろう。志合谷の真っ暗なトンネルも靴がぬれる程度で済み、奥鐘山の岸壁に見とれ、最後の急な下りを終えると、トロッコ列車の待つ欅平だった。

穂高から西穂高縦走2015年

9/27(晴れ)
早朝の上高地。大勢の登山者でにぎわっていた。明神を過ぎる頃より自分のペースで歩ける様になった。3日分のテント泊の重量に不安がなくはなかったが、まずは出だし順調である。
横尾の立派な橋を渡りしばらく行くと、ガスが切れ始め屏風岩が姿をあらわす。1ルンゼ、東壁のハングは圧巻である。>

屏風岩
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涸沢テント場
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涸沢の月

(タイム)上高地5:35---明神6:20(6:40)---徳沢7:22(7:35)---横尾8:27(8:40)---本谷橋9:37(9:50)---涸沢12:05

9/28(晴れ)
ザイテングラードを登って、奥穂から西穂山荘まで10時間位と予測を立てる。
5時出発の予定。少し遅れた。だんだん明るくなる中、前穂吊尾根、奥穂、北穂と紅葉に彩られ、今日の天気は申し分なし。涸沢槍のとがった山頂が一段と目を引く。白出のコルに出ると、飛騨側から風を感じる。
一汗かいたところだが、ジャケットと、手袋の風対策で奥穂高山頂めざし、目の前のクサリ場から取りつく。奥穂山頂では、早くも冬の到来を思わせる強風が吹いていた。しかし、一歩岳沢側に回り込むとのどかな日差しが迎えてくれた。展望は申し分なし。目の前にジャンダルム、振り返れば、大キレットの向こうに槍ヶ岳。ジャンダルムの頂に登山者の姿が見える。西穂は、深く切れ込んだ天狗のコルのはるか遠くだ。>

槍ヶ岳
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ジャンダルム
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馬の背

気を引き締めて、馬の背からロバの耳へ核心部の一歩を踏み出す。高度感満点の馬の背のナイフリッジを通過し、ロバの耳のクサリ場だ。ほかのルートに比べ、クサリはかなり少ない。ペンキの丸印も少なく、西穂からの逆コースの方が、見やすい気がした。ルートファインディングを要求されるコースである。
ロバの耳を過ぎると、目の前のジャンダルムを岳沢側から巻く。10㍍程なので荷を置いて頂上に登った。さらにコブ尾根の頭を通って天狗のコルへ一気に下降する。西穂からのパーティとすれ違う。緊張した岩稜の連続だったせいか、久しぶりの登山者の気がした。
コルから先は未知の領域だが、天狗の頭、間ノ岳の通過とクサリ場が続き、予想以上に気の抜けないルートが続いていた。間ノ岳からは、西穂の急な登りが目の前に見えるが、明るいうちにテント場に着ける事が確実となり、一安心である。
西穂高の頂上は、西穂山荘からの往復の登山者がいて、此処までの緊張感からやっと解放された。何人かの登山者と前後しながら、独標で最後の小休止をとり、長かった今日の最後の1ピッチを西穂山荘に向かった。
(タイム)涸沢5:32---ザイテン取付き6:36(6:48)---白出コル7:44(8:05)---奥穂高岳8:45(9:02)---馬の背9:20---ジャンダルム10:02---天狗のコル11:31---天狗の頭11:56(12:10)---間ノ岳12:54---西穂のコル13:14(13:25)---西穂高岳14:10(14:25)---独標15:24(15:32)---西穂山荘16:20

白馬岳~欅平2019,8,2~8,4

 8月2日(晴)
 夜行バスで長野駅に早朝到着。特急バス長野―白馬線1番バスに乗車。早朝はガラガラのバスターミナルだったが、新幹線の到着と同時に、急に人が増え、積み残しが出るほどの混雑となった。栂池高原定刻10:00着。ゴンドラとロープウエイを乗り継いで、自然園駅で下車すると、そこは標高1800mで、最終チェックの後、ビジターセンター前から登山道に入る。頭上から照り付ける太陽の洗礼をいきなり受ける。しばらく樹林帯の登りが続いたが、大きな岩がゴロゴロしだし、木道が現れると天狗原だった。
視界も開け、目の前に広がる乗鞍岳を目指して登って行く。12時を過ぎ、下山してくる登山者も多くなってきた。雪渓を越えて、ひと登りすると乗鞍岳山頂で、眼下に白馬大池を見下ろす事が出来た。池の周りを1/4周すると大池山荘で、早速テントの申し込みをする。テント場は超満員で、夕方には限界を越えた状態であった。>

白馬大池

チングルマ
<池14:25>
コマクサ

(タイム)自然園駅11:00---天狗原12:45(12:50)---乗鞍岳13:51(14:00)---白馬大池
8月3日(晴のち午後ガス)
夜間断続的にテントにあたる雨音で、目を覚ましたが、朝起きてみると、雲はかかっているが、天気は問題なさそうなので一安心。
緩やかな尾根に沿ってひと登りすると、船越の頭と標識のあるピークに到着する。振り返れば、白馬大池もかなり小さくなり、雲の上に、戸隠、妙高が小島のように浮かんでいた。花もちょうど盛りで、早くもコマクサとも対面する事が出来た。
さらに小蓮華山へ急な登りが続くが、お花畑にいやされて、カメラを出すことが増えてくる。白馬三山、五竜鹿島槍、そして雪倉岳に続く稜線と、左から右まで最高の展望が広がっている。船越の頭からワンピッチで、小蓮華山到着。旭岳が大きな山容でせまり、そこから清水岳へと続く稜線が、遥か遠くに続いている。>

五竜岳鹿島槍ヶ岳
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白馬大池
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白馬岳の登り
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旭岳の稜線
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ウルップ草
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ミヤマオダマキ
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剣岳
<白馬山頂から、白馬山荘を素通りし、旭岳の巻道に入ってやっと人も少なくなり、ほっとした気持ちになった。旭岳を巻いていくとその先に、今まで隠れていた小旭が、意外と大きく迫ってきた。これも左から巻くのだが、かなりの迫力だ。清水岳を往復したパーティとすれ違う。巻き終わった所が、広場となっていて、清水平と云われている所らしい。ルートは明瞭だが、標識はほとんど見掛けなくなった。>
清水平から清水岳

梅里雪山をめぐる旅

梅里雪山こんなところ

雲南省の北、四川省との境に近いところにあるカワカブ(6740m)を盟主とする山塊の総称。チベット人にとって聖なる山である。明永氷河は標高2500m位まで流下しており、非常に珍しい所です。又すべての山頂が人の足跡が印されていない未登峰です。

梅里雪山の旅

2019,4,3
14時中国国際航空で、羽田空港を飛び立った。北京で入国手続きを済ませ、昆明、シャングリラと国内線を乗り継ぎ、翌朝シャングリラ空港で、ガイドの和茂林さんと合流することが出来た。

2019,4,4
和さんは、麗江出身でナシ族と言っていた。朝食後、今日は飛来寺まで行くだけなので、松賛林寺を見学する。

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ここは小ポタラ宮とも言われ、多くの僧侶が勉強しており、朝から多くの信者が参拝していた。
 その後赤茶けた山肌を削り取ったような道を、金沙江(長江)の上流へと進んでゆく。昼食の後、時間があるので金沙江大湾に寄り道。金沙江が山によって遮られ、大きく湾曲している所だ。

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ぐんぐん標高が上がり、尾根を越えると瀾滄江(メコン川)流域となる。今日は、標高3439mの飛来寺まで。高台の明珠酒店が、今日のホテルだ。部屋からは、梅里雪山が正面に見えるはずだが、あいにく厚い雲に覆われていた。
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雨崩村

2019,4,5
 朝起きると頭痛と吐き気がする。車で一気に標高を上げた為、高度の影響が出たようだ。相変わらずの天気に、気分も沈みがちだが、何とかだましながら出発する。眼下が瀾滄江なのだが、急傾斜のためはるか上流へ向かい、高度をさげながらやっとの事で、メコン川を渡る橋があった。かなり高度を下げたので、高度障害も好くなってきた。

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橋を渡るとT字路となり、右は明永村で、先ずは雨崩村に行くので、左折して西当温泉に向かった。途中梅里雪山国立公園管理事務所で入園料を支払った。一般車両は西当温泉までで、この先は、専用4WD車が雨崩村を結んでいる。計画では馬の利用も考えていたのだが、道路が開通したことにより、馬は全く使われなくなってしまった。
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 3740mのナゾヤ峠からの下りは、歩きの予定だったが、荷物を運ぶ手段がなく、雨崩村入り口まで専用車を利用し、その先荷物だけバイクで運ぶことに落ち着いた。雨崩村は上村と、下村に分かれているが、最近中村も出来たようだ。雨崩印象精品客桟が今夜のホテルで、ここで昼食後、下村を散策する。雲が山を覆っているが、ガイドの和さんは、明日は晴れると言っている。
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2019,4,6
 6時起床。外はまだ暗い。星が見え天気は良さそうだ。明るくなるのが、待ちきれず外に出てみる。少しづつまわりが見え始め、メツモ、ジャワリンガが初めてその全容を現した。朝日があたり、山頂が赤く染まりだした。刻々と変化する様は実に荘厳である。

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 今日は、神瀑まで往復の予定だ。7時15分朝食。8時10分にホテルを出発する。雨崩下村を通り抜け、ヒバの林の中緩やかな登りが続く。1,5時間程で森林限界となる。
 メツモ、ジャワリンガがすぐ目の前に広がって、白く輝いている。氷河につながる雪原に一本のトレースが延びている。
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 6000m峰が、手を伸ばせば届きそうな近さだ。3~4か所の急な雪面を、右に向かって越えて行くと、神瀑が目の前に立ちふさがっていた。はるか頭上から雪解けの飛沫が降りかかる。出発から3時間半で到着だ。
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 コーヒーとビスケットで軽く空腹を満たす。見渡す限りの雪原に、ガイドの和さんと二人だけ。しずかな時が流れている。いつまでも眺めていたい景色だが、12時もだいぶ過ぎたので、下山に移る。しばらく下降すると、数パーティ登ってきた。小さな寺があるので寄り道してお参りをする。
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 下村で夕食の予約をして、のんびり散策しながらホテルに戻った。

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2019,4,7
 今日も素晴らしい天気の朝を迎えた。朝日に輝く山々に感激。

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 今日は明永村へ移動する日だ。雨崩川に沿ってメコン川に向かって下降するルートを選択する。荷物だけをジープで、西当温泉の我々の専用車に運んでもらう事にする。
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 雨崩下村を通り抜け、雨崩川右岸沿いの道を下る。最初は緩やかな下り坂で、のんびりとした道が続く。雨崩村からの山も、見納めである。
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 対岸には放牧地や、畑が点在しており、ちょうど桃の花が満開に咲いていて、のどかな感じの良い道だった。はるか先方、メコン川の奥に玉龍雪山が白く輝いている。
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 かなり下った所で、右から沢が入っていて、雪崩によって木々がなぎ倒されていた。デブリの上を渡った先から、道が狭くなり、傾斜も急になってきた。メコン川の流れが下のほうに見えて来たところの茶屋でひと休み。メコン川に合流して、少し右(上流)に行くと尼衣村で、ここで車と合流して、明永村へと向かった。
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明永村

2019,4,8
今日は朝起きた時から雨模様。雨具を着用して明永氷河へと向かう事にした。電動カートの終点に到着した時には、雨も上がり少しは希望が持てる天候である。
 樹林帯の中、どこまでも階段の道が続いているが、昔ながらの馬道があるので、そちらを選択する。山頂部は雲の中であるが、目の前には、明永氷河の下部アイスフォールが広がっている。かなり高度も上がってきたので、呼吸も苦しくなってきたが、タルチョーが目立つようになると、第一展望台に到着だ。

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 晴れていれば、明永氷河の上にカワカブの姿がすぐ眼前に見られるのだが、残念ながら雲は取れない。シャクナゲの花を眺めながら、階段の登りを蓮華寺へと向かう。薄日も差し始めたと思ったら、突然の轟音。アイスブロックの崩壊だ。ザックのカメラを取り出しても、十分撮影できるくらいの時間続いていた。

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 蓮華寺は工事中で、中の見学は出来なかった。コーヒータイムを楽しんだ後、下山する事にした。
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 明永村、仁欽酒店で遅めの昼食を取り、飛来寺へと向かう。
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 飛来寺では黒い雲に覆われ、時々小雪が舞うほどの寒さだった。
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飛来寺の朝

 朝起きてみると天気は昨日同様で、山は雲に隠れたままである。ここで朝日に輝くカワカブと対面したかったのだが、はかない夢となってしまった。しかし、朝食で下に降りていくと、少しずつ雲の動きが速くなり、梅里雪山の全貌が見えそうになってきた。急いでカメラをもって、屋上へと階段を駆け上ったが、息切れが激しい。それでもすべての雲が取れ、山々の全貌をこの目に焼き付ける事が出来た。その後徐々に中腹からの雲が沸き上がり、再び山頂は閉ざされてしまった。まさに自然に翻弄されるが如く、夢のような時間の流れであった。

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 名残惜しくも、梅里雪山と別れの時である。車は、瀾滄江から離れ、金沙江に沿って香格里拉へと緩やかに下降していく。
 シャングリラでは時間もあるので、市場をまわり、シャングリラ古城と街並みを堪能。深夜昆明までフライトし、早朝の便にて、北京経由で帰国の途に就いた。
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マカルーBCトレッキング2018年

 はじめに

マカルーBCからシェルパニコルを越え、チュクン、ナムチ

ェ、ルクラの計画が始まったのが、2,017年の春だった。マカルーBCに「行ってみよう」から始まり、少しづつ欲が出て、マカルー山域と、エベレスト地域を結び付ける計画となっていった。
幾つかのエージェントに問い合わせ、見積依頼をお願いしたが、反応は様々だった。最初に金額の提示はあったものの、その後は連絡不通となったり、難し

いコースだと断られたり、全く返事の無い所もあった。10月頃より、A社に絞って交渉を続けたが、最終的に、倍くらいの見積もりとなり、結果として交渉

打ち切り、計画断念か?という状況となった。

振出しに戻り、エージェントを吟味したところ、何とか年を越すこともなく、HSA社と話がまとまり、計画も具体的に進み始めた。航空券の予約、山岳保険加入、ビザ、装備調達、3か月はアッという間に過ぎ去り、何とか4月17日成田空港からカトマンズに向けて出発となった。

 

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ツムリンタール~ヌム

4月20日

ガイドのパサンと合流して、トリブバン空港に向かう。マレーシア航空機のトラブルによって、1時間過ぎてもチェックインできない。やっとイエティエアーにてツムリンタールに向け出発となった。機内より雲の間からヒマラヤの峰が見え始める。いよいよ始まる思いが強くなる。エベレスト南西壁が黒々とひときわ目を引いた。その手前の三角ののピークはローツエ。機はアッという間にツムリンタールに着陸した。空港ゲート前では、コックやポーターが迎えてくれた。

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4月21日

ポーターに先行して、三輪タクシーでカンドバリに向かう。昼食をはさみ、三輪タクシーを乗り継いで、マネバンジャンという街まで先行し、ここでポーターと合流となる。
今日は部落の上部にある、仏教寺院の裏にテントを張ることになった。明日の車の手配などを済ませた後、このお寺に参拝した。パサンは熱心な仏教徒で、五体投地を繰り返していた.。

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4月22日
車2台に荷物満載でスタート。ぐんぐん高度を稼ぐと、今までとは違った悪路の始まりだ。途中ドライバーの朝食休憩をはさんで、ボーテバスを通過すると、ビューポイントがあり、エベレスト、ローツェをはるか遠くに見る事が出来た。進行方向右手なので、方向感覚が狂ってしまう。おそらくヘアーピンカーブの折り返し地点だったと思われる。左がエベレスト、右の三角のピークがローツェだ。

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途中ティータイムをはさみ、ドジュ・ラを越してヘアーピンカーブを下った先がヌムだった。
アルン川をはさんだ対岸の家並みがセドワだ。同高度に見える。ロッジの前庭にテントを張る。夕方より土砂降りの雨。毎日おなじ様な天気だと言っていた。

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ヌム~シプトン・ラ

 4月23日
 いよいよ自分の足だけが頼りのトレッキングのスタートだ。今日は、目の前のセドワまでだが、途中にアルン川が流れている。750m降っての登り返しの始まりである。

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 出だしからいきなりの急下降。途中の棚田では、牛による代掻きが行われている。ポーターたちと前後しながらひたすら降っていくと、川の音が大きく聞こえてくる。眼下にアルンの吊り橋が見えて来た。その昔マカルーに向かった登山隊は、竹を編んで作られた吊り橋を補強しながら渡って行ったと言われている。現在はワイヤー製の2代目の立派な橋だが、マカルーに向かっている実感がジワリとわいてくる。
 下降した分だけ登り返し、セドワに到着する。到着と同時に激しい雨が降り出す。今日はロッジ泊り。

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 4月24日
 今日はタシガオンまで標高差600mの登りだ。セドワを出発して斜面を登り、尾根に飛び出したところがチェクシダラという所。ここでランチタイム、見晴らしがよい所だ。フランスNPOの援助でできた学校がある。昼食が出来るまで時間があるので、地図を広げると大勢の村の人が集まってくる。ドバテの場所を教えてもらったり、地図の間違いなどを指摘してもらえた。

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 午後は尾根に沿っての登りが続き、集落から次の村へとつながり、それぞれの入り口にマニ塚がある。チベット仏教では、マニ塚は右回りに通る決まりだ。そのわけは、人間の右肩に白い良い神様が宿り、左肩の黒い悪神の誘惑に負けないようにしている。その白い神様をマニ塚に近づける事によって、育てているそうである。パサンとそんな話をしながら歩いていると、いつの間にかタシガオンに到着した。一番上の広い芝生の庭にテントを張らせてもらった。夕方より雨、一時かなり強かった。

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 4月25日
 ここタシガオンは通年人が暮らす最後の村となる。食料、ケロシンを買い足し、一人ポーターを追加する。登り始めてすぐに大勢のポーターと、10人位のパーティが降りて来た。一登りした一軒家でヤギのミルクを飲む。濃厚な味わいに感動。2700mの高度になるとシャクナゲが咲いていた。尾根を登り切った見晴らしの良い所がダーラカルカで、ゴリーホテルがありランチタイムとする。ホテルと云っても、板の間に炉が切ってあるだけだ。若い母親と、9か月の子がいた。元気な子だが、子供を育てていくには大変な環境である。丈夫に育つよう願わずにはいられない。

https://youtu.be/SOxkwn_tugg

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 整備された良い道だが、登りが続く。ヤクや、ヤギの集団が追い越していく。これから季節を追って4500m位まで登っていく所だ。今にも雨が降りそうな空模様の中、コングマに到着する。一番手前のロッジに荷物を下ろす。まわりには残雪も見られるようになってきた。

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 4月26日
朝起きた時は、青空も見えていたが、出発の時には濃いガスが降りてきて、視界もよくない。体調がよくないポーターを一人入れ替える。

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 今日はシプトン・ラを越えるので良い天気を期待したのだが、全く望めそうにない。コングマ・ラまでは登り一本、道も狭くなってくる。タルチョーはためく峠で森林限界を迎える。この先は時折風雨が強まり、4000mを越えて息苦しさも増してくる。シャノポカリダラ(小さな池の山)を越しひたすら登り続けると、タルチョーが風にあおられ、マニ塚があるシプトン・ラに到着する。天気が良ければ最高の眺めの場所だが、今は10m先も見る事が出来ない。峠の先にバッティがあり、ほっと一息つく事が出来た。
 弁当を広げていると、ポーターが二人空身でやって来て、コックのザッポラの体調が良くないと連絡してきた。一瞬驚きだが、よく話を聞いてみると元々の持病が悪くなったとの事。皆で協力して、ゆっくり来るよう指示する。

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 相変わらずの天候の中、尾根を一つ乗っ越すとツノポカリで、二つの池があった。この先の峠が、ケケ・ラと思われる。小雪の降る中タルチョーだけが寂しげに揺れていた。もう一度尾根を越えると、道は左の斜面を下るようについている。トレッキングマップでは尾根通しのはずだ。帰りの時確認したところ、下り始めの所にケルンがあり、ドバトという所で、分岐点という意味だと教えてっもらった。尾根にもかすかな踏み跡があり、ルートが変更となったようである。シャクナゲが見え始め、ドバテ到着。しばらくしてコック、ポーターも到着し一安心である。長かった一日だった。

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 ドバテ~マカルーBC 

4月27日(晴、夕方雨)
7時10分ドバトを出発。すぐに樹林帯の下りとなる。谷沿いの、ぬかるんだ急降下で、足元が気になる。ヤクの集団が下りて来たので、安全な所に一時避難する。足元不安定なこのような所で、あの巨体をぶつけられたらたまらない。目の前を、十数頭のヤクが通過していく様は、迫力がある。その後ろから、ヤギ達もやってきた。こちらはかわいいものである。ひたすら下降する事1時間半。やっとバルンコーラが見えてきた。下りきったところは、タルチョーがはためいている。ポーターもこの悪路を何とか下り切ったようである。

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 このバルンコーラを上流に遡ればマカルーのBCが待っている。しばらくは、右岸を緩やかに登っていく。対岸にもトレールが見える。アルン川に沿ったルンバスンバパストレックに続いている道だ。ルンバスンバパスを越えると、カンチェンジュンガにつながっている。いつかは越えてみたいルートである。
 11時ビヤマタンと云うところのバッティでランチタイム。イギリス人三人が降りて来た。12時40分出発。少し行くと新しい橋で左岸に渡る。5年前にバルン川が氾濫し、道が寸断され、新しいルートになった。その時ヤングリカルカも左岸に移設された。おかげで歩く距離も多少ではあるが、短くなった。右岸には寸断された旧道が残っている。2時にヤングリカルカに到着する頃には、おきまりの雨が降り出してきた。

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4月28日(晴のち雪)
いつも朝は良く晴れている。待望の山もよく見える。左前方のひときわ目立つ山が、P-7とP-6だ。天気が持つ事を期待してソーラーパネルを広げて行く事にした。今日は、ラングマレというところまでなので、楽な行程になりそうだ。
 少し離れたゴンパの脇を通り、目の前のガレた斜面を越えて行く。サダサというところに、9時30分着。少し早いが、のんびりとしてランチとなる。

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 ガラガラの河原歩きとなる。右側斜面から岩雪崩が起きて、ヤクカルカはつぶされ今はない。二本の枝沢を横断し、目の前に立ちふさがる尾根を巻くころには横殴りの雪が降り始めた。4000mを越えてくると、さすがに息切れが激しい。やっとの思いで尾根を越すと、小さな小屋が見えてきた。壊れそうな小屋を通り過ぎ、さらに一登りで、ラングマレに到着した。雪の降る中、ポーターも到着し、お茶を飲んでストーブのそばで暖を取って、やっと落ち着いた気持ちになれた。ふと気が付くと、ポーターの人数が足りない。ガイドに聞いたところ、タシガオンとコングマのポーター二人が、BCまで荷揚げして、もうすぐ戻ってくる頃との事。やがて雪の降る中二人のポーターが戻ってきた。二日行程を往復したことになる。さらに今日はヤングリカルカまで下降し、明日には家に帰る予定だという。ボクシス(チップ)をはずみ、二人の無事を祈って別れた。
 毎日の天気は、朝晴れていても、昼頃より必ず雨か雪となる。ベースキャンプから先の行動が、心配になってくる。

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 4月29日(晴、曇)
P-7が朝日に輝いて一日が始まる。今日はいよいよマカルーBC入りの日だ。地図ではかなり距離がありそうに思えたが、ガイドは4~5時間位だと言っている。6時40分に出発。バルン川の河原の道を緩やかに登っていく。振り返ると、早くも下からガスがわき始めてきた。ヤングリカルカ付近は、雲の下となっている事だろう。

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 今日は、ランタン谷のキャンチェンゴンパの落慶法要の日だ。思わず手を合わせた。地震の時、ランタン部落はリルン氷河の雪崩で壊滅。キャンチェンゴンパもつぶれたが、日本のランタンプラン等の援助で、やっと再建された。内部の壁画も立派な物だという事だ。
 

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9時10分大岩の下で休んでいると、前方の雲が動き、雲の間に急峻な岩稜が、一直線に伸びているのがかすかに見えた。思わず“West Ridge. MAKALU”と叫んでいた。ガイドは、静かに“Yes”と答え、左奥に見えるピークがバルンツェと教えてくれた。一瞬で雲に隠れてしまったが、しばらくすると、西稜が全貌を表し、その先にマカルー山頂も尖った姿を見せてくれた。感動に身体が震えた瞬間だった。

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 いくつかのモレーンを越えて行く。河原が広がった先の右岸にいくつかの建物が見えてくる。木橋を渡ると念願のマカルーBCである。標高4870mSpO2(血中酸素濃度)77%、少し頭痛を感じるが、問題はないようだ。

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 4月30日(朝晴、のち曇、雪)
 今日は休養日だが、ガイドと二人でマカルー南東稜に続く尾根のピークに高度順化で登ることにする。朝、起床時にはマカルー山頂が朝日に輝いていた。しかし、6時15分行動開始の頃から雲が出始め、最初の急斜面を登った頃には、バルン氷河の上部は、視界不良となってしまった。それでも少しの間だったが、エベレストとローツエを雲の間に望む事が出来た。

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 BCははるか下になり、まともな道ではないので、急斜面をひたすら直登するのはかなり苦しい。1時間30分で5300mピークまで登る事が出来た。視界はほとんど無くなり、風も出てきたので、かなり寒く感じる。早々に下山しBCに戻った。

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 BCでも雪が降り始め、登山チームもC-2から天候不良で降りて来た。我々もこの先の行動を、検討しなければならない状況のようだ。オランダ人、フランス人、インド人とBC入りしてきたが、皆この天候には戸惑っている様子である。昼食後ガイドと相談するが、楽観的な見方は出来ない。シェルパニコルを越えてチュクンまで、4日かかる。連日昼頃から天気は崩れるパターンなので、降雪量が多くなると、シェルパニコル、アンプラプツァコル間で閉じ込められる事にもなりかねない。どう考えても天候が急によくなるとは思えないので、今回はここまでとし、明日から、下山を開始する事と決定する。

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 5月1日(晴、一時雪)
 起床時にはガスに包まれていたBCだったが、朝食を取り、いざ出発という頃には素晴らしい青空に、マカルーがひときわそびえ立っていた。後ろ髪を引かれる思いだったが、悪天候には勝てない。一歩一歩足を踏み出すごとに、マカルーは遠ざかっていく。何度も振り返って、シャッターを切る。何度目か振り返った時、マカルーははるか小さくなり、降り始めた雪にかすみ、やがてガスの中にその姿を包まれてしまった。

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DOLPOの天空駆けるⅡ

 ビジョール

 シェーゴンパを発ち、ビジョール、サルダン、ニサルとドルポの中で
一番奥深い地域に向かう事になる。5000mを越える峠があり、いよいよ今回の核心部である。

 7月6日(曇、雨)
 タータンコーラは、深いゴルジュとなっており、川沿いに下降することは出来ない。
いくつかの枝沢を横切り、大高巻きが続く。途中沢で、やくのキャラバン隊と出会った。ビジョールのゴンパ修復の木材を運んでいるのだ。


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5時間かけた高巻きで、最後の峠を越し、いくつかのカルカが現れると、やっと今日のキャンプ地、タタの近くの放牧地に到着した。

 カルカの住人が頭が痛いとやって来て、薬が欲しいという。痛み止めの薬を渡した。現地の人に薬を渡すのは難しい。薬など飲みなれていないはずだし、症状も的確には、聞き出せない。おそらく、普段は自然治癒に任せるか、漢方の薬草位だと思う。

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 7月7日(曇、雨、一時晴れ間)

 我々は、目の前の尾根を登り、シャムリンゴンパを目指す。カッチャル隊や、ほかのスタッフは、直接ビジョールへと向かって、斜面を下って行った。

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ビジョール

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シャムリンゴンパは、集落の中ではなく、ゴンパだけがいくつかの建物で構成されている。写真の撮影は、許可されなかった。雪ヒョウの毛皮と称する物があった。このゴンパは、ドルポで一番古いという事である。千手観音、不動明王が祭られている。

 再び尾根まで戻り、右に尾根一本越してから、ビジョールへ下降した。緑の畑が広がる、大きな村だった。午後雨あがりに、病院と一緒になったゴンパを見学した。この病院は、フランスからの援助で建てられ、ラマがこのあたりで採れる薬草を調合している。診察は無料のため、かなり遠くからやって来る人もいると話していた。

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 夕方、野菜の買い出しと、学校の見学に行った。我々のシェルパの村から、先生が来ているとの事。シェーゴンパの祭りの踊りを練習していた。

 野菜の収穫期はすこし先のようで、細い大根6本を200Rsで手に入れる事が出来た。

サルダン

7月8日(曇、一時雨、午後時々晴)

学校の脇を通り、川に沿っていくと、いつの間にか緩い登りとなってきた。4~5件の村を見かける。雨の中単調な登りだ。広々とした放牧地に出、しばらくすると一軒のカルカがあった。夕方、キッチンボーイの、プリペイドスマートフォンを借りて、試してみると、なんと、日本につながり、現状を連絡する事が出来た。ネパールの通信事情は複雑。

 7月9日(晴)

 朝は雲がかかっているものの、西の方角にカンジロバヒマールらしき白い山が望めた。歩き始めると、雲も取れて久しぶりに気分が良い。峠までジグザグの道が続いている。峠手前でロバ隊が追い越していく。峠の反対側は急な斜面で、はるか下に緑豊かな畑が広がっていた。部落はカラン。この辺りは、どうも道が地図と違っているようだ。

 サルダンへはもう一つ峠越えが待っていた。峠に登ると学校が建っている。予想外の峠で、最後の登りはフラフラになって、サルダンのキャンプサイトに辿りついた。夕方野菜の買い出しに出かけた。ロキシーを飲み、昨日借りた、プリペイドカード1枚を180Rsで購入する。このあたりは、完全にチベット圏で、ネパール語は半分通じればよい方である。

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 7月10日(晴)

 サルダンのキャンプ地は、村より高い所にあるので、ナゴンコーラまでは、くねくねした道を、かなり下降しなければならない。

 

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後は、左岸の道を下流に向かうのだが、大高巻きもなく比較的楽な行程だ。この道は、上流に向かえばドゥータラップに続いている、立派な街道だ。キッチンボーイは河原に降りて、水際を歩いている。枝沢の渡渉さえ気にしなければ、アップダウンがなく楽かもしれない。

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 やがて前方の景色が開けてくると、パンザンコーラの合流点だ。ナゴンコーラを橋で渡ると、鍵のかかったバッティが一件あった。一休みしているとお店の人がやってきた。近くの住まいから様子を見ていたようである。せっかくなので、シャンプーを入手し、久しぶりにビールを飲んだ。

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 合流点の先で、パンザンコーラを右岸に渡り、そのまま上流へと向かう。この辺りは大きな流れで、高巻きもないので助かる。合流点から2時間程でニサルにつく。

 村のはずれのゴンパに行ってみるが、鍵がかかっていて見学は出来なかった。代わりにネパール人ポリスと話が出来た。この辺りはチベットとの国境が近いので、警備しているとの事だ。

 ボランティアで近所の子供たちに、読み書きを教えている人に会いツァンパ、バター茶をごちそうになる。ニサルは平地が少なく、キャンプ地も村はずれの狭い場所だった。

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 クン・ラ(チベット国境)

7月11日(晴)

 夜降っていた雨は朝には上がった。今日はクンコーラに入る日だ。水場の沢を渡り、がけに沿って回り込み、クンコーラに入る。両岸が狭くなった右岸を進み、少し開けた所で対岸に渡るとやぎ放牧用のカルカがある。上流は広々とした感じ。さらに2度橋を渡り左岸に戻ると、小さな畑と2軒の家があった。そのはるか高いところで、やぎが放牧されている。

 しばらく行くと二股で、先行したスタッフがテントを張ろうとしていた。我々の目指す二股は、もう一つ上なので急ぎ追いつき、本当の二股へ向かうため荷物を積みなおす。しばらく行くと対岸にテントがあり、数人の人が見えた。広々としたモレーンを上がっていくと、やっと目的の二股に到着した。先程のテントで、ヤギを入手する事が出来た。 

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 7月12日(朝雨、晴)

朝まで雨の天気、明け方は強く降っていた。此のところ明け方の天気は良くない。朝食が終わるころ、青空ものぞいてきたので、クン・ラに向け8時出発する。左股に入り、モレーンを越えしばらく行くと、湿った感じで池が現れる。

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天気も回復し、次々と現れるモレーンを越えて行く。どこから一緒だったか、黒犬が前後してついてくる。ブルーポピーもいっぱい咲いている中、上部は広がりを見せ、いよいよ源頭の様である。一つづつモレーンを越えて行くのだが、高度が5000mを越えると息が切れる。

 大きなケルンがあって、その先傾斜が緩くなると、待ち望んだ国境のクン・ラだった。 国境を示す標識があり、その先はチベット高原がはてしなく広がっている。小さな池が三つあり、その先は荒涼とした無人地帯が広がっている。 

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河口慧海が、この辺りのどこかの峠を越えて、チベットに入ったのだが、その足跡は定かではない。しかし、クン・ラに立ってみて、これまでの悪路を越え、この先荒涼としたチベット高原をラサを目指した、慧海師のすごさには、敬服するしかない。 

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 国境をまたぐ道。世界中にいくつあるのかはわからない。しかし、今我々がいる、クン・ラも無人でだーれもいないが、その中の一つなのだ。

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 ムシガオン~ティンキュー

7月15日(晴一時小雨)

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 クンコーラをドンドン下り、最後はパンザンコーラに向かって、ガレを急降下した。河原に降りてクンコーラの河口を飛び石で渡る。ほぼ川沿いに登っていくのだが、いくつかの枝沢を横切らなければならず、その上り下りが意外と負担である。

 日本からの援助米を運ぶ、ロバやヤクのキャラバンが、次々にやって来る。援助米は、チベット経由でムシガオンに集められ、そこからドルポ各地に運ばれて行くようである。

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f:id:dhannebad:20180314150808j:plain ムシコーラの出会いに気づかず、いつの間にか、ムシコーラ右岸の道を歩いていた。橋でムシコーラを渡り、斜面を横切るように登っていくと、部落入り口のチョルテンがあった。ムシガオンは、かなりの畑があり、部落の上部がキャンプ地となっている。夕方、荷運び用のロバ、ヤク,馬が続々と集まってきた。

 7月16日(曇のち晴)

 明け方までかなりの雨だったが、朝起きた時はやんでおり、出発できそうなので一安心。

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 ムシガオンの上に覆い被さるような急斜面の登りから始まる。この急斜面をひたすら登った先が、広々とした、ムシ・ラだった。ここからパンザンコーラに向かって、1200m下降する。この川がパンザンコーラと出会う両側にシーメンの部落がある。キャンプ地が見つからず、時間をロスするが、学校の陰にテントを見つけた時には、ほっとした気持ちだった。

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7月17日(晴)

 今日はティンキューまで。比較的フラットな道なので、馬に乗ることにした。いざ乗ってみると、視点が高く、眺めは抜群だ。膝で鞍を締める様にして、腰でバランスをとる。揺れも少なく、写真など撮りながら、パンザンコーラの川沿いを進んでいく。マイタコーラの出合いが、小さな広場になっていて一休み。バッティもある。

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  ポルワ村で昼食タイムとする。馬から降りると、ずっと膝に力を入れていたせいで、足元がふらふらしている。それでもこの単調な川沿いの道を、歩くのに比べればずっと楽だ。

 昼食後、少し進むとムクデムコーラが左手より合流してきた。マリンバンジャンへ続いている川だ。橋はあるが、馬はそのまま川を渡って進んだ。ここからティンキューは近くで、馬は村の入り口で返し、村の中を歩いて台地にあるキャンプサイトに、到着した。夕方、台地の一角にあるバッティテントに行った。

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 7月18日(晴)

今日は一日休養日なので、画家で、僧侶のテンジンヌルブさんのゴンパを訪ねた。村からは、かなりの標高差があり、ティンキュー全体が見渡せる高台に建っている。あいにくヌルブさんは、サルダンのゴンパへ絵をかきに行っていて留守であった。ひょっとすると、途中ですれ違ったのかもしれない。 

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帰りには、NPO法人EWS(Earth Works Society)が支援している、学校を見学した。生徒たちは一生懸命勉強しており、設備や、医薬品なども揃って来ている様だ。

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 ツァルカ 

 7月19日(曇時々晴)

パンザンコーラの広々とした右岸の道が続くので、今日、明日の二日間馬を使う事とした。左岸はドゥータラップの道が並行している。二股を分けている尾根の末端が、中々近づいてこない。

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 7月20日(曇一時雨)

夜中はかなりの雨だった。出発の時は、かろうじて止んでいた。緩やかな尾根を登り、はるか先が二股になっている。左股はディクンコーラで、橋はないので、膝上の渡渉となる。我々は、馬上のため全くぬれずに済んだ。荒涼としたところをしばらく進むと、ジャーコイバンジャンという峠を越えてドゥーへ続く道が分岐している。

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 広い河原で休憩していると、騎馬、徒歩の集団が追いついて来た。中には、小さな子供まで連れている。ヤチャクンブを取りに来た集団だ。しばらくは、この大集団と相前後しての移動となり、これまでの静かな感じとは一変した。われわれは、途中のキャンプサイトでまでだが、大部隊一行は、ツァルカ目指して先へと急いでいた。

 7月21日(曇一時晴夕方時々雨)

 まずは、目の前のツァルカ・バンジャン(峠)を目指す。緩やかな登りが続いて、ケルンが建っている峠に到着する。

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 峠を越えると一変して、荒涼とした景色となる。眼下は、ツァルカツルストコーラで、バルブンコーラの上流である。はるか先には、雲の間にダウラギリが望める。さすがの8000m峰だ。斜面を川に向かって下降していくと、ゴンパがあり、畑が広がったツァルカの村に入った。チャンチュンコーラを鉄橋で渡り、村のはずれがキャンプサイトになっていた。

 ツァルカ村は日本とも縁が深い所だ。かつて1958年に西北ネパール学術探検隊が、半年にわたって調査しており、鳥葬の貴重な記録を収めたり、根深誠氏や、貞兼綾子氏も深いかかわりを持っている。

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    f:id:dhannebad:20180321202453j:plain    f:id:dhannebad:20180321222620j:plain ≪秘境ヒマラヤ(大森栄著)より≫

 夕方、雨が上がったので、シェルパのラメスが村へ行こうと誘ってくれたので、一緒に行った。ガイドやキッチンボーイたちも買い出しを兼ねて、出かけていた。結局皆が一緒になってバッティに集まり、ロキシーで乾杯となる。 これから先の情報を収集したり、「風の記憶」に登場する、ソナム リンチェンについて聞いてみた。彼は橋の上流に住んでいるとの事なので、明日訪問してみることにする。帰りがけ、我々のロバが対岸にいるので、カッチャルドライバー(ロバ使い)とシェルパが、目の前の川を渡渉して連れ戻しに向かった。

 7月22日(晴一時雨)

一日停滞で、ゴンパの見学。一軒は、その昔は、対岸にあり一本のロープで渡って行き来していたが、10年ほど前にこちら側に移設されたという。

f:id:dhannebad:20180321224118j:plain ≪秘境ヒマラヤより≫

 もう一軒は、村の入り口にあり、ニンマハ派、サキャ派ボン教が混在して祭ってあると説明された。骨笛の実演や、仏像の政策などを見せてもらえた。

 ソナム、リンチェンは残念ながら別人だった。  

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 サンダ~カクベニ

7月23日(晴午後一時雨)

キャンプ地を出るとすぐに鉄の橋で左岸に渡る。対岸にも古い道が付いている。フィルンコーラが右岸に合流。しばらくして、はるか遠くに見えた二股にやっと到着する。

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右股のタサンコーラを吊り橋で渡り、そのまま右岸を高巻くように、急登を登る。尾根に出ると緩やかな、草原となる。やがて歩きにくいガレ場となり、しばらくトラバースすると右、左と沢が合流し、広々とした所が今日のキャンプサイトだった。

 7月24日(曇、雨)

 この辺りに部落は全くない。ノルブルンと呼ばれている辺りは、広々とした草地が広がり、川幅は500mもあろうか。さしものバルブンコーラも源流の様相となってきた。ヤクカルカと呼ばれる、放牧用キャンプ地の少し先の台地を今日の泊り場とする。ムコットからマルンコーラを下ってきた人達や、放牧で、ヤギやヤクを連れて、サンダ方面に向かう人たちが、テント脇を通過していった。

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7月25日(曇、雨)
 霧で視界の閉ざされた中、沢沿いの道を進み、左寄りに広々とした草原の中の道を行く。右手には、雲の間から雪をかぶった山が現れた。トングヒマールあたりだろうか?ヤクの放牧されたあたりをトラバースしていくと、ニウエァパスのようだ。

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さらに広い草原を越えると二つ目のパスに出た。サンダパスを越え、ベリーコーラへ直接降る道は使えないようである。二つ目の峠の先は、眼下の沢に向かって急斜面が続いている。この沢もすぐにゴルジュとなり、高巻きが始まる。こちら側は、急登、急下降の連続である。一か所だけ平地があり、今日の泊り場である。左前方雲の間から赤茶けた台地が見えたが、ムスタンの方角だ。

 7月26日(霧、晴、雨)

 で視界が閉ざされた中、急下降から始まる。キャルンパコーラに降りた所に吊り橋があり、渡った所で休憩していると、今通った場所に落石。はるか崖の上にナウルの群れがいた。ちょっとの時間差で危ない所だった。 

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吊り橋の先は、再び急登が始まる。よくもこのような道を付けたものである。トラバースが始まると、サンダの村が見えてきた。二本の枝沢を飛び石で渡ったが、昨年は増水で、昼間渡ることは出来なかったらしい。チョルテンを越え緩やかな登りで、やっとサンダ村に到着した。学校のわきの空き地がキャンプサイトだ。いよいよ最終行程となるので、カシ(食用やぎ)を入手する。 

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 7月28日(霧、一時雨、曇)

 今日はカクベニまで長い下降がある。ドルパで最後の行動となる。昨日休養したので皆生き生きしている。霧で視界が閉ざされた中、学校の脇から急登が始まった。しばらく登って振り返ってみるが、何も見る事は出来ない。ただひたすら登りが続くのみ。ドルポを去る日にふさわしいかなとも思う。

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第一、第二、第三と尾根をのっ越すたびに高度が上がっていく。第二の乗越点では、サンダの女性二人と一緒に休憩する。ジョムソムまで出かけると言っていた。最高のおしゃれをしている。やっと急登が終わり、水平の巻道となる。これが又延々と続いている。やがて最後の峠、4350mに立つ。正面雲の間に白い雪の山がのぞいている。ニルギリと思われる。

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 峠から少し行くと、ジョムソムへ行く道と分かれ、谷に向かって急降下となる。この分岐点は、知らないと見落としそうな所だ。カリガンダキがはるか下方に見下ろせ、その上流は、荒涼とした赤茶けた世界が広がっている。ムクチナート、カクベニと街のある所の緑がとても新鮮に見える。

 どんどん下降を繰り返し、膝がおかしくなる頃やっとガンダキの川岸に出た。風が強く、砂ぼこりが舞っている。少し下流の、幅が狭くなっている所に吊り橋がある。

 今まで通過してきた村と違い、異なった世界に足を踏み入れていく感じがする。  

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 7月29日(晴)

  いよいよ最後の行動日となった。気持ちの良い晴の朝を迎えた。

ジョムソムに向けて、カリガンダキの左岸の道を行く。バイクが走り、電柱が建っている。すべてが驚きだ。ジョムソムの町が少しづつ近づいてくる。橋を渡り、チェックポストがあり、その先のホテルの中庭に、後のテントを張った。夜中にカチャルドライバーと、キッチンボーイがデュナイに向けて帰って行った。ガランガランと、ベルの音だけがいつまでも鳴り響いていた。   

      

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DOLPOの天空駆ける

 

 はじめに 

 ムスタンか、ロールワリン辺りで、何処か静かで面白いところはないかと探していたところ、カトマンズではドルポが話題にあがっていると、情報が入ってきた。早速地図を広げ、計画立案が始まった。

2011年に行く予定だったが、東日本大地震で1年延期。やっとのことで、準備も整いタイ国際航空でネパールに向けて出発することが出来た。
カトマンズからネパールガンジ、そしてジュパールと国内線を乗り継ぎ、いよいよドルポトレッキングのはじまりだ。今回の目標は、She Shikar登山、アッパードルポ一周、 

河口慧海 - Wikipediaの足跡を追って、チベットの国境の峠に立つ。この三つを掲げての45日間のスタートだ。

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Dolpo 概念図 

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ジュパール~フォックスンド湖 

ベースキャンプへ向けて

6月13日(晴)
 ジュパール~チェプカ
バルブンコーラ(川)と別れスリガートを遡る。すぐチェックポストがあるが、問題なくパスする事が出来た。

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埃っぽい道が続く。途中、無人の放牧用カルカやバッティ(茶店)があり、2~3回上り下りを繰り返し、スリガート本流に下降すると、今日の泊り場チェプカに到着。

6月14日

 昨日の脱水症状の反省から、2Lの湯冷ましを準備する。樹林帯は快適。ワラビ、ヨモギ等、日本の沢沿いの道のようだ。今は、渇水期で、川沿いの石畳の道を歩く事が出来る。一度高巻きの後、右岸に渡るとRechiで、バッティがあり、昼食とする。

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 左岸に渡り返し、大きな支流が合流。石畳の道を少し進むと、Sandwaに到着。ここは、フォクスンドコーラとプグマコーラが二股になっている。左カグマラ、右フォクスンド湖の指導標があった。対岸に渡った所にキャンプ。夕方、近くの軍キャンプから、3人が訪ねてきた。ヤチャクンブ(冬虫夏草)を取る人たちがこの上流にいて、その安全を図るため、この時期だけ駐留しているとのことだ。

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 6月15日(晴)

いきなりの急登から始まる。すぐ上が軍のキャンプだった。挨拶して、プグマコーラを遡っていく。

 畑が現れると、プンモの部落だった。今回初めてのボン教ゴンパがある。

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家のあいだを縫うように登り、部落の一番上で休憩とする。十数件の家があるが、人の気配はあまり感じない。ここから二週間は、食料の入手が出来ないので、何とかジャガイモを分けてもらった。

 プンモからは、麦やジャガイモの畑が途切れとぎれに続き、Khyaruという部落に至った。ここは数件の家があり、対岸まで畑が耕されている。

 1時ちょうどにDajaに到着。ナウレコーラが左岸に合流している、気持ちの良い草地だ。明日は、この先のプンプンコーラの上流に向かうのだが、ナウレコーラ右岸の尾根を高巻いて入って行くことになる。テントを設営している間に、尾根の取付きまで偵察してくる。カグマラ方面は、本流を橋で渡って上流に向かっている。少し手前で、かすかな踏み跡が尾根に向かっていたので、明日はこのトレースをたどってみようと思う。高度も3600mを越え、夕方はかなり冷えてきた感じだ。

 

 6月16日(晴)

 今日は高度順化のため、BC往復だ。昨日見ておいた通り、ナウレコーラを渡ったてすぐの急な登りに取り付いた。岳樺の間の踏み跡は、日本の山のようだ。200m登った台地には、右手からも踏み跡が付いていた。

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 左下にプンプンコーラの流れを見るようになると、上部が開けてきて、右上は、カンジェラルワの雪の斜面が迫ってくる。この山は、日本隊が初登頂しているが、それ以外この地域に入った記録は見ていない。

 広々とした斜面を横切っていくと、尾根の曲がり角にチョルテンがあり、初めてシェシカールの姿を見る事が出来た。カンジェラルワの山腹から流れ出た、沢が合流するあたりは、ヤチャクンブを採集する人たちのキャンプ地となっている。この上に3つの池があり、今日は第二の池までとする。高度も上がってきて、体が少し重い感じだ。帰りは台地から左へ新しい踏み跡を下降した。

 

 6月17日(晴れのち曇)
 今日はベースキャンプを建設する日だ。7:45出発する。昨日下山で使ったトレースを登ることにする。急な登りにひと汗かいて、3600mの大地で休んでいると、カッチャル隊(荷揚げのロバ隊)が鼻の穴を膨らませながら、ほこりを巻き上げて登ってきた。素晴らしい馬力に感心する。
 対岸の急な斜面をロバが移動している。プンプン谷の右岸上部にも、テントが張ってある。皆、ヤチャクンブ(冬虫夏草)を取る人たちだ。ガラ場の上など、時折落石が起こったりして、命がけである。後で聞いた話によると、毎年、何件かの死亡事故も起こっているとの事だ。樹林帯を抜け、トラバース気味に登っていくと、左下に川の流れが見えてくる。

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 ガラガラの斜面を越えると、2件のカルカが建っている。谷筋を歩くようになると、左岸より沢が流入し、一大ヤチャクンブキャンプだ。バッティがあり、結構な商売となっているようだ。谷筋は開け、目指すシェーシカールも視界に捉えることができる。思ったより雪の付き方が少ない。一番目のチョナクパ タル(池)で昼食タイムにした。我々のカッチャル隊が追い越していった。

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  二番目の池は、チョカルボ タル。右側に踏み跡が付いている。高度も上がってきたので、なるべくビスタリ(ゆっくり)で行く。草地からモレーンを越すと第三の池だ。名前はついていない。池の右手に広がった草地を(4250m)BCと決めた。キャンプを建設していると、上部から何人かの人が降りてきた。何人か子供もまじっている。
 ロバ隊は、Dajaあたりへ下って、29日に戻ってくることに決まった。夕方、出発が遅れていた、サーダーのマンさんが登ってきた。これで全員が揃ったわけだ。

 6月18日(曇り時々晴、夕方雨)
 昨日までと違い、曇り空の朝となった。ここへ来て天候が思わしくなって来た。今日は休養日だが、これから先の不安材料となる。

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 少し天気が回復してきたので、シェルパが上部のルート確認に行く事になった。
 BCでは時々日が差すものの、上部の稜線は、雲に覆われてしまっている。
 15:30雨がぽつぽつと落ちてくる中、シェルパたちが戻ってきた。プンプン ラ(峠)から先は、岩尾根で落石ひどく、ルート工作の支点が取れないという。明日全員で上に行って、ルートを探すことにした。

 

 BC滞在記

 6月19日(曇時々雨)
 朝今にも降り出しそうな空模様の中、安全祈念のプジャをとり行う。祭壇で、針葉樹の葉を燻し、米と小麦粉を混ぜたものを、三回に分けて振りかける。
 ともかく、サーダー、シェルパと共にハイキャンプ予定地まで行ってみる。8:00出発。
正面の2段になったモレーンを越え、草付帯を右寄りに登っていく。昨日までの天気とうって変わり、上空は雲で覆われ、雨が降り出してきた。視界の悪い中、一つ尾根を超すと上はカール状に広がっているのがわかる。谷に向かってガラガラの斜面をトラバースすると、少し開けた所に出た。キャンプ地にはなりそうだが、ここから先のルートが問題である。

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プンプン ラへは雪渓とガレが続いているが、その先の岩稜が無理なようだ。左にルンゼが上がっているが、滝の部分は、落石が集中して危険すぎる。雲で視界が遮られているが、山頂へのルートは見出すことは出来ない。雪が付いていれば違ってくるのだが。
 暗い気分でBCに戻った。ヤチャクンブ取りの親父さんがいて、自慢そうに4本も見せてくれる。生えている状態は、きのこの先だけが地上に出ているだけで、全く我々が見つける事は不可能だ。

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  夜のミーティングでシェーシカールは断念。ロバ隊が上がってくるまでの間に、BCの上の雪の付いた山に目標を設定し、行動計画を立て直す。

 

6月20日~6月27日
 連日曇りか雨。時々晴という天気で全くすっきりしない。士気も上がってこないのだが、ともかくアイスフォールの下の台地に、テントを上げた。
 アイスフォールの途中までフィックスロープを張り、6月25日少し晴れ間が出たので、上を目指してみるが、再びガスが降りてきて、5400mの高度で、下山となった。

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   6月27日

   ロバ隊待ちで完全休養日となる。午前中天気が持ちそうなので、左岸側の一段上にある、チョカルブ タルまで一人行ってみることにした。シェルパのビバスが一緒に行く事になり、第二の池を降りた下あたりから、左の急斜面に取り付く。シェルパと二人なので早いペースで登っていくが、こちらはかなり必至の状況。尾根を越すと眼下には、第四の池と、気持ちよい草原が広がっていた。ヤクが2~3頭のんびりと歩いている。全く人の気配がない、別天地だった。 左へトラバースしていくと、先日HC往復で使った斜面の左端に出た。
 午後雨が強く降り始めてきたので、テントでのんびりしていると、一日早くガラン、ガランとベルを鳴らしながら、ロバ隊が上がってきた。明日はBC撤収し、アッパードルパトレッキングの始まりだ。

 

 Ringmoへ向けて


6月28日(晴)
 朝テントから顔を出すと、雲一つない快晴。BCへ来て一番の良い天気だ。
  7:40カッチャル隊に先行して下山を開始する。名残尽きない、源流域の景色を振り返りつつ、池の脇の道を下山する。

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第一の池を過ぎ、地元キャンプでは、テントの数が減ったようだ。その代わりこの何日かで、咲いている花の数がかなり増えている。花の写真を撮ったりしながら、二軒のカルカに到着する。ここでシェーシカールや、プンプンコーラの源流域ともお別れだ。

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 ダジャで昼食をとり、左岸沿いをひたすら歩く。プンモまで思ったより長かった。BCでの活動が、予想以上に疲労として溜っている。

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軍キャンプに無事降りて来たことを伝え、いよいよフォックスンドコーラを上流にと向かう。左岸に渡ると学校や、アムチーホスピタルがある今日のキャンプ地だった。ちょうど学校の終わったころか、小学生くらいの子供たちが、4~50人も集まってしまった。

 6月29日(晴)
 今日はいよいよリンモでフオクスンド湖と対面できる。左右両岸に道はあるが、より近い左のルートを取る。学校の脇で橋を渡り、しばらくは平たんな道だが、その先は、600mの急登が待っていた。3000mを越えていても、日差しが強く汗が噴き出す登りだ。眼下には、畑が広がり、対岸にはドゥータラップに続く谷が、分岐している。

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 道幅が広がり、やっとリンモの集落に到着する。家の間を縫うようにして、湖のほとりに出た。ここが今日のキャンプ地。目の前のフォックスンド湖は、ポスター通り、いやそれ以上の素晴らしい青い色をしていた。近くのバッティでビールを購入。500Rsだった。
 今日は、カシ(食用やぎ)が手に入ったので、キッチンたちは大忙しだ。 

6月30日(晴)

 昨日までの疲労回復と、これからのこれからのスケジュール調整のため、今日は停滞日である。のんびり起床し、まずは洗髪と、洗濯。心身ともにさっぱりとなる。

 20分ほど離れた、ボン教のゴンパ(Tsova Gumba)の見学に行った。新旧2棟建っていて、新しい方は、築5年ほどの様である。新しい方の本尊は、ブッダトンバシェンラップ。旧は千手観音が、祭ってあった。

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 寺の僧が、日本から寺院修復のため、技術者が来る事になっているが、いまだ連絡がないと言っていた。派遣する母体も不明だし、調べるすべはなさそうだ。

 昼過ぎに、サルダンからドゥーへ行くというドイツ人3人がやって来て、隣にテントを立てた。

 夕方には、シェルパ達と村へ行き、ロキシーを味わった。

  Shey Gumbaへ 

  7月1日(曇のち晴)

まずは、フォックスンド湖右岸の、岩をくりぬいて作った道から登り始める。出だしは、ロバに荷物を付けると、岩角に引っ掛けるので、広い場所までは人力で運ぶ。

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 リンモから見ていて、急登は覚悟の上だったが、峠までは岩を削ったような道が続き、汗が止まらない。峠のタルチョーが見える頃、上からロバのキャラバン隊が降りて来た。ビジョールから二日でやってきたと言っているが、信じられない様な早さである。狭い道でやっとすれ違うと、その上で待望の峠に到着する。この先は、緩やかな下りとなり、上流のフォックスンドコーラの河原に出る事が出来た。広かった河原も少しづつ沢の形となり、いくつかの支流を渡った先が、今日のキャンプ地だった。

 衛星電話がつながり、エージェントの事務所に連絡が付いた。しばらくぶりなので、まずは一安心。夕方ノルウエー籍ドイツ人女性が、ポーターと到着する。この先は、ビジョールからララ湖に向かうと話していた。

 7月2日(曇一時晴)

夜中の雨もやみ、少しづつ青空が広がってくる。しばらく沢沿いを歩いて、二股の手前にキャンプサイトがある。右股のツクキャクサコーラを、木橋で渡りツクキャクサコーラのゴルジュを高巻くよう、左の尾根をひたすら高度を上げる。本流上部の左には、シェーシカールが見えるはずだが、雲に覆われ見ることは出来ない。

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ドイツ人女性のグループと前後しながら、ひたすら上を目指した。高巻きを終わって河原に降りた所がキャンプサイトだった。         

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 7月3日(晴一時雨)

 夜中の雨は、激しくテントをたたいていた。朝起きてみると、青空も少し見え始めている。今日は5000mを越えて峠を通過する日だ。しばらくは沢沿いだが、やがていくつかのモレーンを越していくと、ゴルジュを巻いて、上の草原状の河原に出た。

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この先で沢はいくつかに枝分かれしていた。左上のほうに放牧に来ているらしい人影が見えたが、ルートはもう一つはっきりとしない。地図で慎重にルートを確認する。

 右寄りの沢に入り、ガラガラの斜面を登っていくと、何となく踏み跡がはっきりとしてきた。もうすぐ峠に出そうな道の岩陰になんとブルーポピーが咲いていた。どこかでお目にかかれるとは思っていたが、初対面は感激だった。

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 7月4日(曇一時晴、夜雨)

 今日は、クリスタルマウンテンを周回して、シェーゴンパまでの予定だ。朝方まで降っていた雨は、朝食の頃には何とか上がってくれた。シェルパ2名が我々と同行し、あとのスタッフは荷物と一緒に、シェーゴンパに直行する。

 しばらく沢に沿って下降していくと、タルチョーがはためく周回コースの入り口だ。家族らしい集団がいて、マニ車を回している家長らしい人の話では、昨日も、今日も巡礼しているとの事である。足元から崩れそうな、ガラ場を上へ、上へと登る事3時間。とうげでは、タルチョーが風になびき、いくつもの仏が安置されていた。

 

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 峠を越えると緩やかな斜面で、クリスタルマウンテンを右手にして、時計回りに踏み跡が続いている。しばらくは緩やかなアップダウンとなっており、岩陰には、ブルーポピーが数株咲いていた。

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峠を2つ越すころ、雨がぽつぽつと落ちてきた。ムスタンから来たという男の人が追いついてきた。やはり土地の人は強い。あっという間に後ろ姿が遠ざかってしまった。

 最後の岩山の斜面をトラバース気味に登りきると、マニ塚があり、道は左の尾根に沿ってついているが、眼下にはシェーゴンパの建物などが見えている。直接下降できる道を探している所に、羊飼いの親子3人が通りかかった。雨で身体も冷えてきたところなのでたすかる。どろんこの道を、しばらくは親子3人と一緒に下降する。親子は、途中のテントに向かい、我々はひたすらシェーゴンパに向けて泥道と格闘する。シェーゴンパの建物がだんだん大きくなり、バッティや、ヤク放牧のテントも見えてきた。橋を渡った台地の上にテントがあった。何とか、暗くなるまでに到着する事が出来た。

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  今年は12年に一度のシェーのお祭りの年だ。あとひと月ほどたつとこの辺りは、巡礼者のテントで埋め尽くされてしまう事だろう。今は直前の静けさが支配している。お祭りも見たい気がするが、そのエネルギーに圧倒される事だろう。

 

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Sherpani Colを目指せ

 この地球上で、8000mを越える山は14座です。そのすべてが、ヒマラヤ、カラコルムにあります。

 1950年にアンナプルナがフランス隊によって登頂されて、8000mへの挑戦の幕が切って落とされました。そして1953年エベレスト、ナンガパルパット、1954年K2と続き、14年の間にそのすべての山頂に、人類は足跡を記した。

 その後無酸素、より難しいルートから挑戦、冬季の登頂と高峰への挑戦が続いたのだが、今では、エベレストでさえ公募隊による、商業ベースの登頂者が多くなりました。

 

 グレートヒマラヤトレール(GHT)というものが、2011年に設定された。最初に山岳雑誌か、ネットの記事で読んだ記憶があったが、2012年にDOLPOトレッキングから帰ってきた、カトマンズのエージェントの事務所での雑談の中で、そのスケールの大きさに触れたのが、最初の接触であった。

 GHTには山岳ルートと、丘陵ルートの二つが設定されていて、山岳ルートは、全行程1700kmに及びいくつかの5000mを越える峠を越えて行かなければならない。

 その中で、核心部となる所。それがSherupani Colを越えるMAKALU BCからCyukungそしてNamcheに至るコースです。今このコースを実行するべく計画を立てている所です。

 

 実際にMAKALU BCへのトレッキングの実施状況を、レポートしようとこのブログを開始したところです。実施時期は4月中旬になるので、それまでの間に、過去のDOLPOの事など、少しずつ書いていこうと思います。